耳を欹てる
ときどきチェックしているたさきさんのアンテナの中でも、
カネゴンさんの日記はずば抜けて特殊なジャンルの広範なテーマを
扱っていて、ユーモアな文体と相俟って独特なテーストを醸す。
それで、ぱらぱら眺めていたら、
さらに、ガムランのように「一番重要な音を一番小さく鳴らす」
という逆説的なメリハリの付け方すらある。
という記述があって気になった。
同じ記事中からリンクの貼られている
「一段階上の退屈」さの記事も興味深いのでそちらも読むべし。
そちらに逸れるのもよいのだけれど、ガムランにおける
一番弱い音についてもうすこし詳しい説明を見つけた。
一番重要な旋律というのは、鍋のような形をしたクノン
という楽器で、それがポーンとかカーンとかたまに鳴ります。
西洋人や日本人なら、おそらく一番重要なメロディはみんなに
はっきり聴かせなければならないというわけで、その音をボーン
と強く浮きあがらせるように演奏するはずです。
しかしインドネシアの人たちは、重要なメロディを、
重要だからこそ小さくやるんですね。それも遅れてやる。
ほかの音がガンガン鳴っている中で、何か一つだけ
モタモタしたのが鳴っていれば、それが一番重要なんです。
その旋律をほかの人たちは聴きながら、その音に合わせてゆく。
『音楽の根源にあるもの』の一節。ガムラン見よう見まねより
大事なことには耳を澄ますから弱くていい。
という発想は、強調されるものにばかり目を取られる
昨今にあって忘れ去られてしまった作法だと思う。
大きな声を出そうとすることだけに感けないため。
ガムランは騒々しいイメージだったけれど、
そればかりではないということを知った。
クノンの音を聴きたい。