立ち位置はどこか

よりたくさんの文脈を引き受けようとするには、
少なくともひとつ確実に受け止められなければ、
何ひとつ捉え損なう危険性がつきまとうだろう。
有体な言葉で言えば、たくさん手を出したものの、
どれもするりと逃がしてしまっては元も子もないと。


この頃よく、
そこでもうすこし踏ん張ってみろよ
としんいち君に叱咤激励されて、はっとする。


それはそうすべきなのだろうと、思う。
何かつかめそうな感触があれば、つかみ取れるまで
粘ってみないことには始まるものも始まらない。
やっぱりだめかな、とすぐに音を上げるようでは、
固まりそうだった形も霧霞のごとく消えてしまう。


今の自分は、色んなトコに手を出そうとして、
そのくせ肝心なところで手を出しあぐねて、
どれもこれも中途半端でほったらかし状態、
ということが多すぎて、見ていられない。


どうも投げやりになっているのもいけない。
どうせ・・・なんだから、という風な方向に、
ついすぐ考えてしまうのはやめたい。
考え方が萎縮し切っているのも感じる。
出発点で謂われのない制約を設けると、
そこから抜け出せなくなるのは当たり前。
変に肝の据わった開き直りをするくらいなら、
何かをやり遂げてみろって言うんだ。


という文章を書きながら、すでに、
凝り固まっているじゃないか、と。
それはごもっとも、建設的でない。
分析しているフリをしながら、その実、
愚痴ってるだけという反論があるね。


ぜんぜん話は変わるけど、
今年のX'masプレゼントのCD
(勝手にもらって来ちゃった。笑)
を繰り返し聴いていて、楽しい。


DVDとかどうでしょう?という提案が、
そんな下らないものでいいのかよ!
というひと言であっさり却下されて、
結構ひかえめにへこんだりはしたけれど、
代わりにみんなの選曲したCDもらっちゃえ、
よく分からないけどこっそりお持ち帰り。


アジカンとかビョーク元ちとせとかが
ヘッドホンをはずしてもがんがん響いてる。
知らないアーティストとかもあったり、
個性的なCDばかりで、ずっと飽きない。