あまのじゃくにはなりたくない

自分が感じたことや考えてること、思ったこととか信じてることをちゃんと言おうとしても言えなくて、もどかしいにも程がある。ならば、と書こうとしても書けずにちっとも上手く行かなくて、もうなんでもいいから子どもみたいにじたばたとかしたい。それでどうにかなるものなら。
せめて正直でいようと思っても、ちょっと時間が経つだけですぐに揺らいできて、単なる思いこみにすぎないとか勘違いしてるだけのような気もだんだんしてきて、急速に自信がしぼんで行く。こんなにも不安定なものだったとは信じがたいのだけれど。
違う。違うのに、伝えたかったことはそんなことでは全然なかったのに、嘘の言葉はだめなのに。気付かなかったことにしていればまだどれだけよかったかしれない。そのままずっと知らない振りをして、何事もなかったことにする方法もあった。
言葉だけが上滑りしてしまうのを止められるものはなんだろう。誠意を込めているつもりなのに、すこしずつズレて行く気がするのは、正直に見えても実はかすかに歪んでいて屈折しているからなのか。そんなはずはない。言葉になる前のもやもやと、形になってしまった言葉のどちらが正しいかなんて誰にも判断できないんじゃないか。自分自身にでさえ。
どこかから言葉の選択を間違えた気がするのは、さっきの自分の決断を判じかねているから。だって、確かにさっきの自分はそれを選んだんじゃないか。少し前の自分と対峙するなんて目を背けたくなるものだけど、これからの自分と向き合うためには必要なこと。
そのときははそう思って言葉にしたということは今さら変えられない。もっとふさわしい言葉が他にあったかもしれないという思いも認めた上で、矛盾しているなりにすべて引き受けて行くしかないのだろうね。でも、あまのじゃくにはなりたくない。