トンボロを渡りながら

ひさしぶりに真鶴半島の三ツ石海岸に行った。
海までの坂道を降りるにつれ前回の訪問が蘇り、
そうそうこのアプローチだった、とだんだんと
またここにやって来たという実感がこみ上げる。


風がびゅんびゅん強くて波濤が立っていて、
東映だっけ?の映画のオープニングみたいだね」
まさにそんな感じ。


先頭を切って風に立ち向かい、勇猛に進むボスの後ろ姿が
いつもと違ってなんかカッコいいねとみんなで褒めていたら、
まさにそのタイミングでお決まりのようにバランスを崩して、
あーせっかくいい感じで決まってたのにと笑いあった。


風に飛ばされそうになりつつ車座になって、
もうすこしすればきっと夕凪がくるはずと信じて
ごつごつした石に腰下ろし待ちながらちびちび。
のどがよろこんでいる。黒糖プリッツもありがとう。
石の上に缶を置くときは倒れないよう慎重に置く。
おつまみの入った袋が手渡しで何度も往復する。
ときどき、お尻の石のでこぼこを再認識してみる。




Y:あれはなにを祀ってるんだろうねえ。
A:地球でしょ。

このやり取りが、なんかすっごくよかった。
岩々とそのすぐ周辺しか見えてなかったのを恥じた。


今回は潮が引いていて岩の島まで道が出来ていて、
行ってみようぜと誘われたので冒険することに。
ほろ酔いで心許ない足下をすべる岩礁に手こずり、
目標は近くに見えているのに意外と距離を感じた。
一緒に探検中のYさんはずっとしゃべり続けていて、
経済から始まって次第に脳の話になって同期について
粘菌をやってる人に最近教えてもらったこととか、
「わかる」のモデルにおける作り込みの問題とか。
相槌を打ちながら自分は必死に滑るしぐらぐらする
岩路とこんなに格闘してるのに、なんでYさんが
こんなに多岐にわたる議論を見事に展開しながら
涼しい顔をしてずんずん進んで行けるんだろう
と心底不思議で、密かに驚嘆していた。いやまじで。
返答に考え事をしていると足が止まってしまうので、
気を抜くと地理的にも思考的にもどちらにおいても
どんどん置いてかれてしまって焦る。でも楽しい。


実際に近づくまで気づけなかったのだけれど、
海面からがっしり聳えるしっかり岩山である。
はるか上という感じの位置に注連縄が張られていて、
くぐり抜けるときに、このラインまで来てしまった
と思った。ふり返って見上げると、縄のはしっこに
小鳥が止まっていた。


右の二つの岩山が実は中腹でつながっていて、
その山腹にまっ平らになっている面があって
そこまで登ってすぐ向こう側をのぞいたら
切り立った崖で足がすくんで落ちたら死ぬ。
神様がおわす場所は、げにこわいところなり。
来る途中ですでに海につかってて飛び石を
伝わないと乗り越えられない地点があって
もっと潮が満ちたら帰れなくなるとずっと
歩きながら意識の底で考え続けていた。


帰路もYさんの弁舌は衰えることを知らず、
足取りも軽やかなので追尾に苦労する。
運良くまだ道が残っていたので無事に帰還。
後で聞いたら、あのふたりは今日あの岩に
泊まるらしいよとうわさされていたらしい。
ご心配おかけして、遅くなってすみません。


ふつうの汗と冷や汗をたぶん両方かいたけど、
強すぎると思った潮風も一瞬は心地よくて、
だけど気化熱を奪われすぎると寒くなる。
帰りのタクシーを待ちわびているときに、
遠くの山の端に太陽がしずむのが見えた。
結局、帰る頃になっても風はやまなかった。


干潮時だけ島がつながるというのを
トンボロ現象と呼ぶのを思い出した。


自分の足で海を渡れるのがうれしいのは、
氷河期に歩いて海を渡ったご先祖さまの
太古の記憶を追体験するせいかもしれない。


なんてことを冷静に考えるのは後からで、
そのときはふらつく足場を逐次しのいで
踏み場を探し探し少し先に行ける方法を
一生懸命考えているだけで精一杯だった。
たどり着けたかどうかは今は関係なくて、
目前のことにだけ集中しているかどうか。
そして一歩進めば、また次の一歩を探す。