どちらが広いと言っても始まらない

Das Sein ist ewig; denn Gesetze
Bewahren die lebend'gen Schätze,
Aus welchen sich das All geschmückt.

GOETHE


Being is eternal; for laws there are to conserve
the treasures of life on which the Universe draws for beauty.


SchrödingerのWhat is Life?に引用されてた言葉。


Onenessとpluralityの関係が気になった。


一回起こったことの背後に隠れたアンサンブルがあって
それが思考実験の中でのみ複数回許されるのだとしたら、
その仮想的なアンサンブルはどこまで裾野が広がるか。
というよりも、その思考実験は何のためのものなのか?
一回起こったことを確かめるために起こらなかったことを
列挙していたらいつまで経っても確証を得られないはず。


最近知った、「強度の反対語は外延」
だという言葉が引っかかっていて、
起こったことは一回の強度を持ち、
起こらなかったことが外延なのかな。


ところで、砂山のパラドックスの俗称が
禿頭のパラドックスかと思っていたけれど、
実は後者がギリシアの哲学者エウプリデスに発し
由緒正しいというのがja:wikiが引用する文献の言い分で、
en:wikiではどちらもエウプリデスの作だと主張する。


意外と、酒宴のネタとして思いついたりした
のではないかと勘ぐってしまったけれど、
由来はともかく、あながち間違ってないかも。

Aulus Gellius(ca. 125 AD―after 180 AD) mentions
how the discussion of such paradoxes was considered (for him)
after-dinner entertainment at the Saturnalia,

確かに、酒の席で盛り上がるというのも
千数百年来の伝統ではあるらしい。


ネロ帝の家庭教師だったセネカに言わせれば、

but Seneca, on the other hand, considered them
a waste of time: "Not to know them does no harm,
and mastering them does no good."

冷静沈着だけど、それじゃつまんなくない?


ひとつの答え方は、時間がかかるということ。


じゃあ、思考実験するのにかかる時間は
実際に起こる時間と無関係なのだろうか。


光が進むときにフェルマーの原理に従って
最短経路(光路長が極値をとる)ように進む
ときに他の経路だったらどんなもんだろう
などといちいち光が悩んだりしないように、
答えが幾何学的(あとエネルギー的?)に
用意されているときに、人間が問題を解くのに
ごりごり計算して時間がかかるけれど、
それは物理現象自体には無関係だろう。
でもそれは、計算に観測が入ってないから?
途中で観測しないといけないような計算なら
人間が計器の目盛りを読むのに手間取ってる
時間とかがもろに効いてきて影響するとか?


で、思考実験するときに、思考実験される対象
そのものが、思考実験する行為に干渉される
(物理的には、観測。物理的以外はこの際なし?)
のなら、思考実験にかかる時間はcritical。
当たり前っぽいけど、思考実験と言わずに、
意思決定と言い換えて認知科学らしく言うと、
意思決定にかかる反応時間が意思決定内容と
何らかの関係を持つ(でも、因果じゃなくて
この場合、相関しか言えなくて弱まってる?)
と考えるのはよくあることで、というか
認知心理行動科学の大前提は、そこのとこに
賭けていると言っても過言ではないわけだ。


しかししかししかし(くどいなまったく)、
思考実験というと普通は空間的な拡がり
i.e., 選択肢の拡がりとか可能性
をイメージして、時間的な拡がりは
あんまり考えていないような気がして、
つまり、選択肢ごとに時間が流れるのでなく
時間は唯一流れている(当たり前?)と考え、
時間的な幅、考えるのにかかる時間と、
考えられている行為のなされる時間とか
との違い(実時間と思考上の時間?)は、
ああ、自分の使う用語があいまいすぎて
何が言いたいかを表現すらできない。


あ、感覚的な時間(知覚される時間)という
別の次元(と言っていいのか?)を忘れてた。
いいや同じなのか、考えるのにかかる時間と、
「考える」と呼ばれている脳内物理プロセス(?)
の処理にかかる、いわゆるひとつの実時間と、
その「実時間」を主観的に知覚する感覚的な時間
があって、理想的な思考実験という考える状態は
時間が経たず、名目上は無時間性とでも言うような
ちょっと変なことになっているのだけれども、
実際には、思考実験の内容がどれだけ理想的でも、
思考実験自体はそのような理想状態にはあり得ず、
だって誰か人間が思考しているからには現実で、
思考実験という実思考をしている実体がいて、
その実体が主体を伴うとかは抜きにしても、
物理的実体が動く(思考も運動?)からには
少なくとも実時間は経ってもらわにゃ困る
というわけで、だから時間は経つわけだ。


思考も(限りなく)広い意味でとらえて
計算と呼ぶことをとりあえず認めたとして、
計算に時間がかかるってどういうことだろう。
えっと、ここで言う時間が上のどれかは
それこそ時間のかかる問題なので一旦保留。


和英辞書で「一旦」の英訳の第一項目はonceだった。