次の雨には泥んこ遊びでも

いつもは心地よい玉川上水の緑道が雨でぬかるんでいて、
泥遊びにはもってこいだけれど、これから話を聴くのに
靴などがぐしょぐしょで行くわけにもいかないだろうと
引き返してまだ歩いたことのない町中の道に行きかけた。
しかし人の流れはそんなことにお構いなく着き進んでいて
大小さまざまの水たまりが乱発する泥道を苦にせぬ行軍
とは別に、直角の方向に臆せず進む新たな傍流を認め、
目的地を同じうしない可能性も脳裏をかすめたけれど、
騙されたと思っておそるおそる着いて行ってみたれば、
橋を渡った対岸に舗装された道があることを発見した。
そのお陰で、樹葉の緑を視界の端に楽しみながらも
足下を乱すことなく束の間の散策をまた味わえた。


話は突然がらりと変わるしいきなり時間も飛ぶけど、
何度送ってもメールが文字化けするような気がして、
原因が分からなくて混乱し続けてしまって参った。
たぶん理由は不用意に打った「〜」記号だったかで、
しかも一か所を消しても他でも使っていたようで
ときどき陽気さと軽快さを演出しようなどと試みて
多用してしまうのもよくよく気をつけねばと自戒した。
それよりも、何度も同じメールが届いて変だなあ
と思われた関係者の皆さんにはお詫びいたします。


Gメールは便利だけれど、自分が出したメールは
自分には届かないという(せこい)制約があって、
MLの投稿のときにはちゃんと投稿できたかどうか
確認する手間があって、不安を払拭できない。
それでも、たとえ文字化けしていたとしても
たぶんエンコーディングさえしてもらえれば
全く読めないこともなかったろうと思いたいので、
それほど大した問題でないのに大げさだったか。


それはともかく、移動中の電車の中で読んでたの
が熱くてなんだかぐっときたので引用したい。

文学は死ねません。
どんなに苦しくても、文学には未来永劫
もがき苦しんでもらうしかない。
楽しくもがき続ければいいのではないですか。
そうするしかないのですから。
文学は終わらない、絶対に終われない。
終われればどんなに楽でしょうね。
文学の可能性はなくなった?
新しい文学も文体もありえない?
結構。
しかし残念ですが、どれだけ泣き叫んでも
文学が終わることはありません。
近代文学が終わった?
終わってもらっても特に何も困りません。
そんなことを言っても何も変わりません。
どのみち文学は終われないのですから。
しかし、近代文学の驚くべき企てを、
なかったことにはできませんよ。
あったことをなかったことにしよう
というのは、常に幼稚な考えなのです。

佐々木中


求む。成熟を。