革命志向、Tシャツからランプまでと、ハイネケン黒のクイズ

遅くまでみんな残って後輩の追い込みの手伝いをする。
研究室のいい伝統を引き継いでいると誰かが言ってて、
今までもみんな多かれ少なかれ過激な主張をしてきたと。
既存の方法論自体を問うような、斬新な視点を持って。


終わってから軽く食べに行こうということで、
趣のある立ち飲み屋に寄ることになった。
前に一度来たことがあるとかで、テーブルの上の
缶の中にお金を入れておくと、どんどんそこから
注文して届いたもののお代が引かれていく。
一杯目はみんなでハートランドビールを戴く。
乾杯してからひとり2品くらいずつ頼んで、
かぶったら飲み干すというルールにしようか、
などとふざけていたので選ぶのに緊張した。


内装は昭和レトロで壁に「東芝マツダランプ
という貼り紙があって、東芝なのかマツダなのか
どっちなんだよ、という声が上がっていたので、
東芝の前身はランプとかを作っていた会社で、
マツダというのはゾロアスター教拝火教)の
光の神様アフラ・マズダの名前に由来していて、
だから英語表記はMazdaでzなんだと説明した。
中高で地理の時間に宗田先生に習った知識が
十数年の時を経てこんなときに役立つとは。


でも本当はちょっとだけ記憶違いをしていた。
東芝ではなく、自動車会社のマツダの前身が
ランプの会社だったと思い込んでいたのと、
マツダの創業者は確かに松田さんで、でも
ゾロアスター教の神の名を借りて英語表記は
Mazdaダブルミーニングにしたのは本当)、
アフラじゃなくて、なぜかフロア・マズダという
微妙に間違った名前でずっと覚えてしまっていた。
最初に聞いたときはアフロ・マズダに聞こえて、
アフロがいつのまにかフロアになったのか。


宗田先生はときどきヤバコビッチ・コマルスキー
というペンネームで試験の模範解答を書いていた。
大学でも教えているとかで、今から思えば、
学習要項などを完全に無視して、大学でやってる
授業をそのまま中高でもやってたのかもしれない。
教科書は使わず、自分で作った何ページにもわたる
手書きのテキストを毎回コピーして配っていた。
先生が好きだったので、率先して地理係になった。
授業の前に、その日のプリントと、厚紙にこれまた
手書きの座席表兼出席簿を受け取って教室に運ぶ。
プリントの量が尋常ではないので、かなり重い。


ある年の最初の授業前、先生にお伺いを立てて、
厚紙にカレンダーみたいな座席表が書かれた出席簿
を受け取って、授業に向かおうとして教室がわからず
迷子になって、やっとのことで部屋を探し当てて
教室に入ったら、遅刻だねと言われて、厚紙の
席のところにその日の日付をペンで書き込んだ。
地理係なのに初回に遅刻して、しかもそのことを
毎回出席簿を受け取りに行って教室に運ぶたびに、
自分の席に書かれた遅刻印で思い出すことになった。


あるとき地理の中間テストで満点を取り損なって、
それが悔しくてたまらなくて、その気持ちを先生に
伝えに行った。授業で習ってノートを取ったことは
全部覚えていられるくらいの自信があったのに。
というのも、その頃はまだ驚異的に記憶力がよく、
特に短期記憶が非常に強かったようで、一夜漬けして、
試験当日の朝に通学電車の中で目を通した教科書や
ノートに書かれたことはほぼすべて覚えている
ことができたのだけれど、ただし、試験が終わった
瞬間にすべて忘れるという能力も併せ持っていて、
後々まで何一つ覚えておけない無駄な勉強をしてて、
ただ成績はどの科目もわりといい方だった。


テストというのは、いい点数を取るためじゃなくて、
何を理解できていなかったかを知るためのものだから、
そんなに悔しがることないんだよと優しく諭された。
いい成績を取るとかどうでもいいんだ、とそのとき
初めて知って、目が覚める衝撃を受けたとともに、
こういうことを言ってくれる人は信頼できると思った。
同時にそのとき、テストのためのテストであるとか、
そうではないテスト勉強に全く興味がなくなった。


宗田先生は、バドミントンをやっていて、
左利きなので左腕の方が右腕よりすこし長い。
高3の一般的には重要な時期に、先生は
アキレス腱を切って学校に来れなくなった。
他の先生に問い質したら、後で補講をすると
説明されたのに、開かれることはなかった。
結局、センター試験の地理はぼろぼろだった。
よく考えたら、普通の地理は習ってなかった。
でも、もっと深い授業を受けた満足感はある。


今ふっと突然、宗田先生が単位とは関係なく
放課後に希望者を募って自主的に開講していた
地図学というゼミに出ていたのを思い出した。
中高合わせても、全部で4人しか受講生がいない。
地図をトレースして水の流れる谷筋を探して
線を繋いで分水嶺を浮かび上がらせたり、
航空写真の立体視で建物の高さを読み取ったり、
ある休みの日に佐倉の歴史民族博物館まで
実習に行った。地図学との関係は、忘れた。
ずいぶん遠いなと電車に揺られながら思った。
招待券が2枚あるので中学生はそれを使って
無料でいいよ、と配慮してくれた。


実は宗田先生というのもペンネームで、
フルネームだと、宗田信二郎と言う。
マルスキーと甲乙付けがたいセンス。
手書き文字がびっしり書かれたプリント
藁半紙の数百枚の束は大事にしていたのに、
引っ越しのときに捨ててしまった。


二杯目はハイネケン ダークを頼んだ。
黒ビールがあったなんて初めて知った。
雑学トークが盛り上がっていたせいか、
瓶が二本来たとき、さっとN君が取り上げ、
さてハイネケンはどこの国のビールでしょう?
というクイズを出したので、即答してから、
しまったと気付いた。こういうときは、
すこし悩むフリをするのがお約束だったのだ
ということに思い至る前に口走っていた。
今度からは気をつけるようにしておこう。
ハイネケンらしくすっきりした味なのに、
ほろ苦くて好きな味で、また飲みたい。


今日のボスは、ニーチェのTシャツを着ていた。
ニーチェと言えば「ツァラトゥストラはかく語りき
が有名だけれど、ツァラトゥストラと言うのは
ザラスシュトラゾロアスター)のことであり、
もちろん、ゾロアスター教の開祖の名前である。
Tシャツからランプまでいろいろ繋がっていた、
と思ったときに、一日が長くて短いと感じた。


そう言えば、最初に注文したサイコロステーキは
オーダーが通っていなくて、食べ損なった。