水、またはそれに準ずるもの

オーストラリアンオープン9日目男子シングルス、
ラファエル・ナダルアンディ・マレー戦。
白熱するラリーが続き、マレーのショットが冴える。
ディフェンディングチャンピオンナダルは、
いつもほど迫力がなく、マレーの巧さが光る。
マレーはここまでの試合で1セットも落とさず
すべてストレート勝ちだったので、大会2週目に
入っても他の選手に比べて余力が残っている
のかもしれません、と解説者が説明している。


2セット先取されて迎えた第3セットは
ゲームカウント0−3でワンブレイクダウン、
ナダルは気にしていた右ひざの古傷が痛み、
あえなく途中棄権したらしい。ほんのすこし
目を離しているすきに、試合が終わっていた。
ナダルは力なくマレーに歩み寄りソーリーと伝え、
軽く抱き合って互いの健闘をたたえ合ったと言う。
どんな風にかはわからないし、それ以外の言葉では
あり得なかったのかもしれないとしても、ほんの
一瞬前まで激戦を繰り広げていた相手にソーリーと
言ったというのは、なんだかいい話に思えた。


行きしに、今日は立食パーティーがあるから
念のため、飲み過ぎたときのために、水か
なにか飲み物を買っておこうと思ってコンビニで
小さなクリスタルガイザーのペットボトルを買った。
ついでに、水では味気ないといけないと思って、
酔っていてもそんな風に感じるかは別として、
フルーツ系の100%かどうかは忘れたけれど、
ジュースもビタミンCなんか多そうなやつを、
オレンジジュースも出るなんて知らなかったから。
ともかく水に準ずるものを持ってれば大丈夫。


会場に着いたら、Kiくんがあまおうという
大粒のイチゴが入った大福をくれて頬張った。
北海道の六花亭フリーズドライのイチゴを
チョココーティングしたお菓子があるけれど、
それはもちろんドライなイチゴが入っていて、
そんなことを思い出しながら、比較できぬほど
みずみずしくてフレッシュな生のいちごが、
意味が重複してるとか気にせずもっとたくさん
なんどでも形容したいくらいジューシーな
しかも大きなイチゴが入ってて美味しかった。
何もできないけど、三脚をたたむのを手伝った。


ノイラートの船のように全部壊して一から
作り直すことができないとしたら、手始めに
まずどこから修繕すべきか判断するためには
暗黙裡の仮定が何なのかを知る必要があって、
黙されたことほど気付きにくいこともない。
しかも、まだ誰も声に出したことのないことなら
なおさら、どうやって発声していいのやら。


二、三日、風邪気味かもしれないと言ったら、
花粉症じゃないのと指摘されて、この頃は
梅の花が咲いてるから梅花粉かもしれない。
嘘だと思ったら、現にその人のお母さんは
桜の季節になると桜花粉になるとかで、
杉とかブタクサもいいけれど、季節毎の
きれいな花の花粉が飛んできたらすかさず
花粉症になってみるのも乙なものだろう。
鼻のかみすぎでちょっと鼻の下が痛くても、
梅花粉なら雅な気分で許せる気がする。


一回性と、責任。なかったことにはできない、
ということなどについてしゃべったりした。
行為ではなく、責任を取ることができる。


クリプキクワスが単なる言葉遊びじゃなくて、
すごく重要だってことを初めて理解した。
クリプキの本のタイトルが「名指しと必然性」
である理由も、すごく重みを持って感じる。
でも何度も読み返さなきゃだめだ。


全豪、女子はナ・リーが快進撃を見せている。
ナダルの傷が癒え、復帰を心待ちにする。