だめだめ、文芸誌ばかりに感けてちゃ

もう今月の文芸誌が発行される日をすぎていたようで、
本屋さんに立ち寄ったら並んでいたので手に取った。
カレンダーに丸をしてあるのに、忙しくて発売日に
本屋に行くことができなかったので遅くなった。


文學界に連載されている保坂和志の「カフカ式〜」は
ここにきてなんと、まとまりを見せてきたようだ。
てんでばらばらだったようなところがそうでなくなり、
断片を辿ると記憶がパズルのピースのように再構成
されてくる、というほど大げさでもなく自然になった。


群像の方には山崎ナオコーラの「昼田とハッコウ」で、
昼田には「ひるた」とルビが振られていたのを見て、
ヒルダじゃなくて本当によかったと安心するとともに、
もしそうならおもしろくなかった勘違いが拭い去られ
やっぱり元通り相当変な名前の設定で正しいと思う。
弟の瞳は「るた兄さん」と呼び掛ける。吹き出しそう。
お面をつけたハッコウの部屋は天の岩戸と呼ばれていて、
よっぽど外でおもしろそうなことがないと出て来ない。


保坂さんの他の連載や、青山さんのも読みたいけれど、
そんなに一気に読まなくてもよいと自分をなだめすかす。
相変わらず、「ちくま」が見つからないのでどうしよう。
時間ができたらあちこち図書館でも探してまわろう。


文學界4月号には柴崎友香がエッセイだか評論を
寄せているのを目次を広げてめざとく見つけていた。
それもまだ読んでいないので、お預けにしておく。
今もう一度まんべんなく目次をしげしげ眺めてたら、
長嶋有山崎ナオコーラが特別対談しているようだ。
『小説から「私」は消せるか』、テーマが気になる。


つい最近、長嶋有の「夕子ちゃんの近道」を
読み終わったのだけれど、雰囲気が好きだった。
あるアンティークショップの周辺の人々の物語で、
そのフラココ屋の二階に住んでみたくなった。
すこしずつ、読書の嗜好が変容してきたのかも。
読むものにつれて、文体も変化しているような。


ふらふら調べていたら、さらにいろいろ気付いた。
群像にも柴崎友香が随筆を寄せているじゃないか。
好きな作家たちが旺盛に執筆してると盛り上がる。
彼ら彼女らと同時代に生きられて幸運のきわみ。