ひっくり返してぺこりんこ

ゼミの後、先輩方とお好み焼きを食べに行った。
片面を焼いてから、ひっくり返そうとして、見事に失敗した。
もちろん、ウケ狙いでわざとコケたわけだが…、
と書きたいところだが、残念ながらそうではない。


ここでは、先輩方からの鋭い指摘を振り返りつつ、
今回のミスを冷静に分析してみたい。


たかやす、さん: 「慣性モーメントが重要だよ」


もっとも荒い近似として、お好み焼きを
密度も厚さも一様な剛体円板(半径r、高さh、質量M)
とする。円板の中心を通り、円板の中心軸(仮にz方向とする)
のまわりの慣性モーメントI_zは、
I_z = \frac{1}{2}Mr^2


と、ここまで書いて、よく考えたら、
これと直交する軸のまわりの慣性モーメント
を求めなければならないことに気付いた。


しかし、あわてず取り乱さずすまし顔で、
お好み焼きをくるくるレコードを回すかのごとく
回転させる場合には、このI_zが重要になりますが、
それだとお好み焼きは片面しか焼けないため、
やはり、ひっくり返したくなるのが人情ってものでしょう。


という独り言は言わずに、黙って計算してみると、
対称性がよいのでたいした手間もかからず、
I_x=I_y=M(r^2/4+h^2/12)
であることが確かめられる。


ここまでくれば後は簡単で、
お好み焼きをひっくり返す角度をθとおき、
手で加える力のモーメントをNとすると、運動方程式を、
I_x \frac{d^2\theta}{dt^2}=N
と書き下すことができる。
あるいは、角速度を \omega=\frac{d\theta}{dt} とおくと、
I_x\frac{d\omega}{dt}=N
と書くこともできる。よってこの式を用いれば、
お好み焼きのおおよその半径、厚さ、質量を推定し、
お望みの回転の角速度 \omega(t) を与えることによって、
お好み焼きに加えるべき力Nを求めることが出来よう。


とーるさん: 「慣性モーメントってテンソルだったよね。
でも、テンソルの定義って何だっけ?もう忘れちゃった」


テンソルの定義は、テンソルの変換規則に従うもの
とよく説明される。じゃあ、テンソルの変換性って何だ?
それは…、と書こうとしたけれど、よく思い出せないし、
添え字がたくさん出てきてうんざりなので、割愛。
竹内薫氏風に表現すると、「ベクトルや行列の親玉」である。
とりあえず、お好み焼きをひっくり返すには、
慣性モーメントテンソルが非常に重要である。


ここで慧眼な読者の方は、でも先程は、
慣性モーメントをあたかもスカラーであるかのごとく扱って
計算していたではないか!とお気付きのことと思う。
その説明としては、成分の計算をしていたと言うこともできるし、
もっと物理的な説明もある。


一般に慣性モーメントはテンソルであり、
3×3の対称行列で表現できることから分かるように、
6つの独立な成分を持つ。
ただし、慣性主軸と呼ばれる特殊な軸の取り方を選べば、
対角成分3つのみが生き残り、扱いが楽になる。
対称性がよくなるような軸の選び方をすれば良い。


それで、実はお好み焼きの例でも、慣性主軸を軸に選んでいたので、
対角成分がI_xI_yI_zとなり、
残りの成分がすべてゼロになるといううれしい状況設定にしていたわけである。


heraiさん:「お好み焼きは剛体じゃない


なあんだ、慣性モーメントを計算すればいいだけかぁ、楽勝じゃん。
というなごやかな雰囲気が広がる中、
非常に冷静沈着な突っ込みがherai さんによってなされた。
今までの、お好み焼きを剛体で近似するという手法に対して、
根幹からしてその妥当性に疑問が投げかけられたことになる。


だって、お好み焼きがカチカチだったらイヤだもん!
という心情的な観点はさておき、現実問題としても、
お好み焼きは柔らかいという看過できない事実が、厳然と存在する。
もしこれがもんじゃ焼きであれば、柔らかいどころの騒ぎではなく、
そもそも固まってすらいないので、
これは力学は力学でも、別分野である流体力学の範疇で捉えることが必要になろう。
おそらく、ナビエ・ストークス方程式が解かれた暁には、
もんじゃ焼きの流体的性質も現在より一層の理解が進むはずである。
ところで、なぜもんじゃ焼きの話になったかと言うと、
一般に食べ物は剛体ではなく、咀嚼可能であるために柔らかい
ということの極端な例であった。


地球上でお好み焼きをひっくり返す場合には、
重力の影響がなかなかどうして無視できず、
自重によって変形してしまう。さらにその変形が進み、ある閾値を超えると、
力学的な強度のもっとも脆弱な部分から崩れ落ちる、という不可逆過程をたどる。
いわゆる、Okonomi-yaki Collapseと呼ばれる現象である。


では、お好み焼きの剛体近似は、あっさり捨て去られるべきなのだろうか。
経験的な観察に基づく観点からすると、
お好み焼きが自重により変形、崩壊するタイムスケールよりも、
お好み焼きをひっくり返すタイムスケールが十分小さい場合には、
お好み焼きの変形が小さく、よって崩壊確率も小さい。
要するに、手際のよさが重要な要因となる。
このように、すばやくお好み焼きをひっくり返す場合においては、
剛体と見なしても本質は捉えられていると考えられる。


omakeiさん:「まだちゃんと焼けてなかったんだよ」


実にもっともな指摘である。
と言うより、この一言で議論は尽きていると言っても過言ではない。


てゆーか、なんでもっと早く誰か気付かないんだよ。まだ生焼けだってことに!


つまり、焼き加減を見極めることが、何にもまして大切である。
お腹がすいているので早く食べたい、早く次の具材を焼き始めたい、
という誘惑に駆られて、時期尚早なうちにお好み焼きをひっくり返すのは、
とてもriskyな行為だと言わざるを得ない。
もし成功すれば、早くお好み焼きにありつけるわけだけれど、
失敗した場合には、味に違いはなくとも、見た目の美しさがやや劣る
という代償を払わねばならないかもしれない。
それならば、しばらくゆっくり焼けるのを待つという、
確実性の高い選択肢もあってよいではないか。


早くひっくり返すよう促してくださった方々に、
あ〜あ失敗しちゃったよという視線を送ってくださった皆さんに、
そして、たかがお好み焼きごときによくこれだけ引っ張るね
と呆れていらっしゃるあなたに向けて、お好み焼きが実は
まだ生焼けであった公算が大きいことをここに書いた上で、


お好み焼くずしてしまってゴメンなさい。ぺこり。