相対的グランパ

人手不足ということで、久しぶりにサークルに駆り出された。
ぴかぴかの(OB)1年生で〜す!みんな初めまして、よろしくね。
ということで、新人のフリをして出席をしようと思ったのに、
どうにも場が読めない後輩が、
(本物の)新人さんたちに僕のことを先輩として紹介してしまったので、
計画がおじゃんになってしまった。逆に、
「もう若さが足りないので、どう見てもムリですよ」
とたしなめられてしまった。実に率直な進言である。即TKO。


新人さんたちは、みんな若くて真面目でまぶしかった。
その中の一人の感想が、
「わたしはもうオバさんなので、体力的にキツかったです…」
ちょっと待てよ、君まだ大学1年だろ。
てゆーか、じゃあ僕なんかすでに、おじいさんって言うことかい。
まあ確かに、子どもたちから見たらそうだけど。
相対的な視点からすると、そっかそうだよね。
とすると、小1の子にお兄さんって呼ばれてたのは、
実はかんなり気を使われてたってことなのか!がーん。

たとえば、研究室に配属されて、新しい机をもらったときに、
自分のデスク周りをカスタマイズすることを、personalizationと呼ぶ。
このように、人は周囲の環境を作り変え、デザインしようとする。


しかし、いつでもそれが可能なわけではなく、ときには、
場所の方に自分を合わせなければならない。
それが顕著に現れるのは institutional settingであり、
賃貸の住宅や、病院の病室、さらに極端な例では拘置所などが挙げられる。
そのように、自分で環境をデザインしていじることができないと、人はストレスを感じる。


このように、環境をデザインできないときに感じるストレスに対する補償の機構には、
大きく分けて3種類あることが、Environmental behavioral studyにおける
Control theoryとして知られている。その3つとは、

  1. behavioral control
  2. cognitive control
  3. decisional control

である。


1つ目のbehavioral controlは、
やろうと思えばいつでも環境を変えられる場合である。
ある講義がとてもつまらなくて、退屈でしょうがないときでも、
途中で部屋から出て行くという選択肢は常に存在する。
このように、環境を変える手立てを持っていると、ストレスは軽減される。
しかし、実際にはよっぽどのことがない限り、実際の行動に移すことはまれである。
最後の切り札があると思うと安心だが、
すぐにそれを行使するとは限らないということだろう。


2つ目のcognitive controlは、
自分に不快感を与える環境の原因を知っている/分かっている場合である。
朝早くから、何やらガガガガと外が煩いと気が滅入るが、
その工事が何の工事であって、いつからいつまでやっていて、
いったい何のためのものなのか、ということなどを知っていると、
随分感じ方が違うものである。
すなわち、その環境に対する情報を与えられているかどうかが、
非常に重要な要素となり得る。


3つ目のdecisional controlは、
自分でその環境を選んだ場合である。先ほどのつまらない講義の例では、
その講義に出ることを強要されたわけではなく、
出席することを自分で選択したときには、ある程度我慢できる。
自らその環境を選び、いわば同意したことで、
自分の許容範囲を広げたことになるからだろう。
これは、妥協あるいは協調という概念と強く関連しそうである。


このように、言われてみれば当然のようなことを指摘するのが、
環境心理行動学(EBS)らしい。いや、そんなの当たり前じゃん、
と思えるくらいに噛み砕いて分かりやすい例で説明されたから
そう感じただけで、実は奥が深いのかもしれない。


そう言えば、M1部屋の居心地をさらに向上させるために、
みんなで拠出して冷蔵庫を導入しよう!
という案は、どうなったんだっけ。
あ、これこそ、behavioral controlのよい例なのか、うむ。