a certain intellectual mood

久しぶりに、家に帰る前に日付が変わらなかったので、
借りっぱなしになっていた本たちを返しに行く。
結局、積ん読だけでほとんど読めなかった。


片方は、だいぶ前にしんいちくんに教えてもらった、
「心脳問題」(山本貴光吉川浩満)という本。
結局、朝、行きの電車の中ぱらぱらめくっただけだったが、
そこそこポイントはつかめたと思う。
誰もまだ分かっちゃいない!ってことがわかった。


Gilbert Ryleという人の言葉がちょっとおもしろかった。
たとえば、タイトルがそれ。
人がどういうときに心脳問題にぶち当たるのか、
ということをウィットに包んで表現している。


それから、Category mistakeのたとえ話。
子どもを動物園に連れて行ったときに、
大人が「これはゾウ、これはカバ、これはキリンだよ…」
とそれぞれの名前を説明してあげる。
それで、最後に子どもが言う。
「ねえそれで、動物はどこにいるの?」


哲学者の考えることは、ズレていて、いや、ズラされていて、
意外と気付かないものだと思うけれど、
言われてみれば、そっか確かにそうだよねと感じるか、
または、まったく何を言っているのか分からないか、
わりと両極端なことが多いような気がする。
ただ僕がばかで理解できないだけかもしれないが。


そうか、平凡な人は哲学者足り得ないからか。
分かった気にさせるも、分からない気にさせるも、
どちらも、すぐれてperformativeなのだろう。
でもたぶん、誰もが潜在的に、納得したい欲求に駆られている。
sense of wonderってそういうこと、だよね。