4枚カード問題

ふつうにまちがえちゃいましたよ。とほほ。


4枚のカードが並べて置いてあり、それぞれには数字かアルファベットが1文字書かれている。アルファベットが書かれたカードの裏には数字が、数字が書かれたカードの裏にはアルファベットが書かれているものとする。


今、見えているカードが

であるとしよう。


このとき、カードの裏表において、「母音のときは偶数である」という規則が成り立っていることを確認するためには、最低限、どのカードをめくって裏に書かれている文字を確かめる必要があるだろうか?


『進化生物学への道―ドリトル先生から利己的遺伝子へ』(長谷川眞理子)の第7章で紹介されていて、思い出した問題。


多くの人は、4の裏が母音かどうか確かめたくなってしまうらしい。現に僕も、ついそうしてしまったので、その気持ちがよくわかる。しかし、一瞬不思議に思えるが、4の裏はどうでもよい!ということに気付くことが大事である。


次に、ちょっとおもしろいことが起こる。「ビールを飲むなら20歳以上でなければならない」という規則に対して、

  • ビール
  • コーラ
  • 25歳
  • 18歳

というカードがあったとしたら、どれをめくるだろうか?今度は、25歳のカードをひっくり返そうとする人が激減する。最初の問題とこの問題とでは、正答率が10%から75%程度まで上がるらしい。それはなぜか?


このことは、人間は抽象的な論理思考は苦手であるが、具体的で日常的な問題はわかりやすい、という理由で説明されることが多い。


しかし、進化心理学者のJ. ToobyとL. Cosmidesは、この4枚カード問題における認知のバイアスは、人間の進化の過程において、互恵的利他行動の問題が重要だったからではないか、という仮説を立てた。


利他行動が進化するための条件として、恩恵を得るだけでお返しをしない「抜け駆け」個体を見抜き、その個体には利他行動をしないことが必要である。一般に、「ビールを飲むなら20歳以上でなければならない」といった社会的な規則は、たいがい個人の欲望を制限するものであるから、お互いに規則を守ることは利他行動であるとも考えられる。そうすると、「規則を守っていないのは誰か?」を検出することが重要であり、人間の脳にはこの認知過程に特化したモジュールがあってもよいのではないか。


そこで、特別ななじみはないが、社会的な約束事を想定した問題と、そうではない問題をたくさん用意して、「PならばQである」が守られているかどうか確かめさせる課題をやったところ、社会的な約束事の体裁をとるどんな問題に対する正答率も高かった。しかし、そうでなければ、たとえば、「ニューヨークでは地下鉄に乗る」のような日常的な文章でも、正答率は低いことが発見された。


ということらしいのだけど、でもかな〜りうさんくさい説だよなぁ。でも、ついつい4の裏を見たくなってしまったのだから、推論を誤りやすいのか、問題を認識し間違えやすいのか、何らかの違いがあるのは確かなんだろう。


母音と偶数の問題では、論理的にはこの規則は「P⇒Q」であるのに、勝手に「P⇔Q」だと思い込んでしまうような気がする。どうしてそんな混同が起きてしまうのか、とっても不思議。。。やっぱり、抽象的な推論が苦手なだけなんじゃ。。それだけじゃないのかなぁ。