日常に潜む意外な可換性に関する一考察
- 「歯ブラシに歯磨き粉をつける」
- 「歯を磨く」
は順序を交換できない。
こういうのを非可換、または、Non-Abelianという。
- 「学会で話をする」
- 「歯を磨く」
は交換可能である。つまり、Abelianである。
セッションが終わって部屋から出て行きながら、
歯を磨いている一風変わった先生をお見かけして、
今日まさに気付かされた、深遠な事実である!
なるほど、数学者という人種は行動も図抜けている。
ある2項対立があった場合に、それらの間を調停し、
あるいは無効にする第3項が現れることが期待される。
3体問題になればカオスが生まれるかもしれないから、
だから嬉しいんじゃないか、という邪推もできよう。
なるほど、パラメータが3つあればいろいろ弄れるし。
2元論に還元したがるのは、純粋に発想が貧弱なだけで、
第3項を思いつかないから逃げているだけかもしれない。
これからは、誰も思いつかなかった第3項目を探してみる。
違うと思われていたモノコトを手繰り寄せ結びつける手法。
もしくは、人間が分かりやすいと思える単純さというのが、
たった2つの対概念のなす構造程度である可能性もある。
郡司さんの本がなぜ読みにくいのか、ということについては、
一度真剣に考えてみてもよいのかもしれない。
案外、だれもが読み飛ばしてしまっていて、たとえ、
その本気さを認めたとしても、きちんと読んでいないのかも。
メタファーというのは、ものの本質を分かりやすく、
噛み砕くものだという前提は、ここに完全に崩れた(笑)
決して分かりやすいわけではない比喩を読み解く能力、
それは何だろうか。基本的な国語力なのかもしれない。
通約不可能でありながら調停される関係にある媒介性
調停っていう言葉の意味をまだ計り兼ねているレベル。
- <誰が>調停しているんだろう?
- <誰が>通約しようとして失敗したんだろう?
- 媒介性という性質を備えているのは<誰>なんだろう?
もしもこれが英語で書かれていたらすっきりするかも。
いや、修飾語がどこに掛かっているか明示されないと。
「通約」と「調停」って、何が違うの?何をするの?
ドゥルーズ=ガタリとか読まないと分からないのかな。
読んでも分からないんだろうな、とすぐ諦めるから
いつまで経っても分からないんだよね。
スケルトンの自己修復性が時間の本質である、
という主張は、わりと大胆な発想だと思った。
John Ellis McTaggartと言う哲学者の時間論
も気になるけれど。それより、
新進気鋭の物理学者、Fotini Markopoulou-Kalamara
が同じことを主張しているというのが気に掛かる。
彼女は(そう、彼女)、圏論におけるHeyting algebraを
基礎にして新しい量子時空描像を打ち立てたのだとか!
というか、Markopoulouの共著者を見てたら、
Lee Smolinとかがいるじゃん!わーお。
卒論のときに読んだスピンネットワークの論文にもいたぞ。
新しい時空の描像っていうから、やっぱ関係してたんだ。
僕がやってたのはグラフ理論だけど、そっか次は圏論ね。
そーんなわけで、物理が懐かしかった。