アンチZの法則

昨日書いた、大崎善生は昔、編集者だった。
というのは、彼の本を読んでいてもよく分かり、
たいていの作品に編集者が登場して来る。
もしかしたら、成人雑誌の編集者だったのか、
と勘違いしている人も中にはいるかもしれない。
それはそれで当たっていないこともない(笑)


彼が編集長を務めた雑誌は、『将棋世界』。
コアなファンしか読まない雑誌といえる。
雑誌と言うからには、その体裁に則って、
巻頭にグラビアがついているから、驚きだ。
ときに女流棋士もいて、なぜか大抵、かわいい、
もちろん、水着など着ていることはあり得ない。
とても健全な成人雑誌と言えよう、たぶん。
もちろん子どもが背伸びして読んでよい。


僕が一冊だけ所持しているのは、1996年9月号。
これとて、先輩に譲ってもらったものであり、
この雑誌を自分で買ったことは一度もなかった。
中学生には高くて買えなかった、というか、
もっと別の本を買いたかったのだと思う。


今、編集後記を確かめると、大崎の名があった。
この号の特集は、「和のレッスン」だった。
好きな女性のタイプは、ともし聞かれたら、
すかさず、たかはしやまと、と答えていた。


もちろんだれもそんな女流棋士のことは知らない。
子どもの頃に足が悪くて、手術をしたために、
左右の足の長さが微妙に違うのだそうだ。
そして、入院したときに将棋を覚えたのだとか。
たしかそんな感じの、涙ぐましい話は後で知った。


和さんがヨーロッパを巡って、指導対局する、
という内容の特集がたまたまその号に載っていた。
たまたまもらった号がそれだっただけだけれど、
なんとなくそれで好きになったのかもしれない。


だいぶ後にあって、彼女が結婚したと聞いたとき、
まったく熱心なファンだったわけでもないのに、
いったい誰と結婚してしまったんだろうと思った。
作家の大崎という人だった。『聖の青春』という本は、
タイトルだけ聞いたことはあったが読んでいない。
さとしさんは、ちょっとぽっちゃりした棋士だった。


聖さんと言うと、なぜか浜田先輩のことを思い出す。
ときどきズレてきたメガネをくっと押し戻すしぐさをする。
やっぱり小さくてぽっちゃりして、まんまるい感じなのに、
眼光が異様に鋭くて、もちろん将棋もずいぶん強くて、
うちの高校の名人だった。なぜかやめてしまったけれど。
なぜ印象に残っているかというと、「風車」をきちんと
あざやかに使いこなしていたから。


風車というのは、非常に難しい戦法である。
左右対称形でとてもきれいで、バランスが難しい。
伊藤果七段(当時)が研究して、本を書いていて、
「風車の美学」という。昔読んだ記憶がある。
調べたら、紹介文にこうあった。

攻め三分、守り七分の新風車、負けず嫌いの風車、
変幻自在の一段飛車、上級者に対するとっておきの戦法
盤上美学の追求。


王様がどこにいてもいい、というのが好きだった。
玉飛近寄るべからず、という古くからの教えに背いて、
居飛車にもかかわらず、玉を右に移動するという、
「右玉」という禁断のひびきがなんとも言えない。
人によって、「うぎょく」か「みぎぎょく」なのか、
読み方が分かれるようで、僕はうぎょく派だろうか。
ちなみに、風車も読み方が分かれるところのようで、
「かざぐるま」か「ふうしゃ」か、これは、
ときどきで好きに読めばいいように思う。


風車は何度か試して、何度も失敗したように思うが、
もうひとつ、なぜか僕が気に入った戦法があって、
「雁木」という、忘れられてしまった戦法である。
江戸時代くらいからあったのだろうとは思うが、
指す人があんまりいなかったところに、本が出て、
「雁木でガンガン」というよくわからない駄洒落?
のタイトルなのだが、確かに強そうでいいかと。


矢倉よりも、雁木の方がずっとカッコいいと、
ただそれだけの理由で、変化球のつもりのとき、
ときどき雁木を組むのが楽しみだったのだけれど、
元来居飛車党でない僕が無理して居飛車にしても、
やっぱり感覚が分からないというのは当たり前で。
縦からは強そうだけれど、横がスカスカしていて、
飛車一枚渡りでもしたら終わり、みたいに。


なぜか理由はよく分からないけれど、最初に、
気付くと三間飛車を指すようになっていた。
それはたぶん、相矢倉とか先後同形の角換わり、
急戦の横歩取りなんかもっとわからなくって、
なんで同じ形になっちゃうんだろう、という
非対称なものを好んでいたのかもしれない。
それで、自分は振ることにしていたのかも。
駒落ちで指してもらうときから三間飛車だった。


とりあえず、ちょっと異端っぽい雰囲気の、
升田式石田流とか、カッコいいじゃん。
考案者の升田幸三が変な人で伝説もあるし、
奇襲と言われようが何と言おうと、
早石田の組み上がった形が素敵じゃないか。


それを言うなら、確かに、ちょっと似ている
ひねり飛車だってなかなかどんでん返しなところ、
指してこなしてる人がカッコよく見えたんだけど。
それはやっぱり居飛車の戦法なのであって、
最初から決めて、遅くても五手目には振ろうよ。
しばらくして、僕は四間飛車党になっていた。


そのころ振り飛車党にとって脅威となっていたのは、
かの有名なイビアナである。もう名前がこすいよね。
いや、よく分からないけど、別に「いび」られるから
イビアナなわけじゃないけど、なんかイヤな名前。


正式名称、居飛車穴熊は、振り飛車党の天敵だった。
もともと穴熊と言えば、振り飛車党の戦法だったのに、
それを居飛車が使うとはケシカラン、とは思わないけど。
とにかく、組み上がらせると、手がつけられないんだ。
もうなんと言っても、硬さで負けてしまうことになる。


唐突に、絶対詰まないZの法則、を思い出して、
ふざけたネーミングの法則だけど、そりゃあねぇ、
王手もできなきゃ、詰むはずもないじゃん、ってね。


振り飛車党廃業か、と手をこまねいていると、
ちょうどその頃、対策がちゃんと生まれるもんだ。
藤井システム」が開発されたわけなのだ。
藤井猛さん、すごいよ。升田幸三賞受賞も当然。


もともと、船囲いから発展させる左美濃の対策
として生まれたものだが、世を席巻しはじめていた
イビアナ退治として、組ませる前につぶす、
ぐらいの勢いで、組ませないことを目指す。
それまで、振り飛車は守勢に回らねばならず、
後手後手に回ることは仕方ないと思われていた。
それを、振り飛車側から仕掛けてもいいと。


それにもまして、奇抜だったのは、
居玉で布陣を敷くという大胆さだった。
戦う前にまず玉を囲ってから、が当然なのに、
玉を動かさずに開戦しちゃっていいのか。
かなり度肝を抜かれること間違いなし。
励まされること多く、自信につながる。
昔取った杵柄というわけでもないけれど、
中学のとき都代表に何度か勝てたのは、
藤井さんのお陰なんじゃないか、と思う。


話がだいぶそれたので、今さら、戻すと。
そのころ読んでいた将棋世界の編集長が、
後々になって作家になるなんてつゆ知らず。
編集者のことなんかゆめゆめ気にもせず。
でもなんで高橋さんと結婚しちゃうんだ、
となぜかくやしい感じもしたりはして。


将棋は指さなくなって久しいけれど、
ときどき新聞の将棋欄はチェックしていて、
面白い対局、上手い解説があると読んで、
棋譜を頭の中で再現していると楽しい。
傍目八目とはよく言ったもので、第三者
視点から見ていると意外に見えたりして。


波乱に満ちた、全身全霊の遊びが好き。