という演算

天気がよいので、
空は見上げなかったのだが、
感じとして天気がよかったので、
たぶん空を見上げなくても、
天気はよかった。


そういう日は、
はしごをするに限る。
そう思いつくだけでよい。
知らない街で電車を下りて、
この辺にあったはずだけど。
おぼろげな記憶をたどる。


あったあった、一軒目は
こぢんまりしたこ狭いお店。
所狭しと並んでいるので、
目を動かさなくてもよい。
というのはウソで、やはり
きょろきょろしないことには
目当てのものは見つからない。


2、3回ぐるぐるしていると
雰囲気がつかめてきてよい。
あれはあそこ、これはここに、
全体を把握できればうれしい。
把握できなくてもうれしい。
小さなお店なのに、店員さんが
大勢せっせとよく働いている。


次は大きなお店にしよう、
おっと行き過ぎるところだった。
こんな階段を地下に下りるの
だったっけ。本当かしら。
裏口から入ってしまったみたい。
そういうことも、たまにある。
たどり着ければどちらも同じ。


大きなお店なのに、店員さんが
すこししかいないように見える。
せっかくなので、というせっかく、
の意味はとりあえず置いておいて、
イジワルな注文をしてみたくなる。
少々、おまちください。はいはい。


こちらになります、と持ってきたのは、
なかなか適切な切り返し、合格。
でも第一印象が気に入らなくて、
(店員さんの印象がではなくってよ)
その店員さんが向こうに行ってから、
そっと棚に戻して、さようなら。


慣れないことをすると汗をかく。
外の冷たい空気にあたろう。
コートのボタンは外したまま。
この街の雰囲気は、やっぱり
肌に合わないので退散しよう。
が丘、略し方はいいけどね。


電車に乗って、ごとごとごと。
次はもっと大きなところに行こう。
意外な穴場は、わりとわかりやすい。
デパートの、たいてい5階や6階。
行きなれたお店では、だいたいの
土地勘がはたらくもので、まず、
見る前から配置が思い浮かぶ。
思い浮かべるだけなら行かなくても
いいようなつもりになるが、だめだ。


やはり、並べ方をたしかめないと。
ここは創意工夫の見せ所であり、
店の個性であり、チェックしないと。
新しいものはおもしろくないので、
古いものの取り揃え具合を見る。
ワインの年代を見るかのように、
何年ものかを調べることによって、
どれくらい回っているかわかる。
日に焼け度合いも重要になる。


さっきのお店にあったものが、
ここでは切れてしまっている。
さっきのお店になかったものが、
ここではちゃんと置いてある。
どこにでもある、というのと、
どこにでもない、というのは、
ちょっとつまらないわけで、
どこかにある、という振れ幅、
に共鳴してみたい。


そろそろ買ってもよい頃だが、
ここでもうひとタメしてみると、
本当に欲しいのかそうでないか、
が見極められることになる。
ここの踏ん張りがあるかないか、
ずいぶんいろいろ違いそうだ。
どれだけ誘惑に打ち勝てるか、
という修行だと言えなくもない。


足早にニコタマを後にする、
つもりだったのだが、失敗。
駅の改札を通って気を抜くと、
まだここに、本日の4軒目。
駅の構内にあると聞くと、
それはいかがなものだろう、
と傍目には思うこともない。
しかし、それはあくまでも、
傍目でしかなく、直視すべき。


とりあえず面積が限られるので、
という条件は同一なのだけれど、
1軒目の街中とは雰囲気がちがう。
見え方を気にした配置なので、
とても見やすいから不思議。
回転がよいので、版の新しいものが
並んでいるということに気が付く。


ふと目をやると、先ほどの店で逡巡、
誘惑に打ち勝つ強い意志を見せた、
はずのものを、また手に取っている。
これは、並外れた誘惑ではない。
尋常ならざる力がはたらいている。
これに抗うこと、なぜか敵わない。
何より、何食わぬ顔して手に持ち、
あわよくば買ってしまう魂胆の
この手の動きがよく代弁する。
そんなに手に馴染むのなら。


予定になかったものも買ってみる。
いつでもよいと思ってすごすと、
後でもよい、もう少し後でもよい、
もっと後でもよい、ずっと後でよい、
いつまでたっても来ない後でもよい、
と気が付くと、見えなくなっている。
そこで、気付いたときに買っておく、
という行動があやしく弁護される。


帰りの電車は、かばんの重み。
つい、出来心で買ってしまった。
もうこの段階になると、さっきと、
論理が別のものになっている。
結果論では、つい、の二文字に。
これは便利な言葉ではないか。
どっと押し寄せ、すわ勢いづき、
さっと去って行く、この感覚。


天気がたぶん良いような日には、
のんびり気ままに本屋のはしご。