アイとアユム

以前、霊長類研のチンパンジー、アイとその息子アユムを
二十数年にわたり撮影し続けたドキュメンタリーを見た。
野生のチンパンジーは道具を使用する“文化”を持っていること
が知られており、細長い枝を使って、巣穴の中にいるアリを
釣り上げて食べたり、石の上に実を置き、上から石を叩きつけて
硬い実を割って中身を食べる、というような様々な道具の使用が、
群れごとに代々受け継がれていることが観察されている。


そこで、研究所で育ったアイ達にも道具が使えるのか、
ということがひとつの興味として沸いてくることである。
細長いものを使って、小さな穴の先に入れられたハチミツを
取り出すということに関しては、アイはできたし、まだ
小さい息子のアユムも見よう見まねでハチミツを舐められた。
しかし、石を使って硬い実を叩き割るという方に関しては、
研究者がお手本を見せると、同じ研究所で育った同じ年齢の
他のチンパンジーにはできるのに、アイにはできなかった。


そこで、その石を使えるチンパンジーとアイとの違いとして、
そのチンパンジーは小さい頃から積み木を使って遊ぶのが
大好きで、物を持ってバランスよく積み上げる、といった
手の動作をたくさんしてきたからかもしれないと言う。
アイは実を石の上に置き、そして、別の石を持ち上げて、
それを実の上に持って行くところまではできるが、
そこからその石を力を込めて打ち下ろすところが
どうしてもできないので、実を割ることができない。
そこまで行ければもうすぐできそうなものなのに、
ことはさほど簡単ではない。


また、野生の群れで重要なのは、生まれたときから
自分の親以外に周りに道具が使える大人がたくさんいて、
たとえば、群れの長老が熟練した手付きで実を割るのを
しげしげと間近で観察することができ、長老が食べ終わった
ところですかさず、長老が使っていた使いやすそうな
いかにも形のいい石を自分も使って真似してみる、
といったことをやり、自分でできるまで繰り返す。
ただし、そうやって若い頃から練習を続けると
使えるようになるのに、大人になってから他の群れ
から移って来た一匹のメスだけは道具が使えない。
群れ全体としての“社会性”の中で成長することで、
“文化”が受け継がれていくのかもしれない、と。


僕が生きてきた時間よりもずっと長きにわたって、
アイは研究所でいろんな実験をやって来たんだな。
ということは、それに対しどんな感慨を持つにせよ、
アイが研究所ですごしてきた二十数年は途方もなく長い。
その事実だけがあるなのだなあと、ぼんやり思った。