揮発性

保坂和志を読んだきっかけがなんだったか、
というのはもうおぼろげにしか記憶にない。
昔、と言っても大学生になってからだと思うが、
文学と言われるようなジャンルは縁遠かったので、
とりあえず、芥川賞を受賞した作品を読んでみるか、
という試みをしてみたことがあったように思う。


最近のはどうもろくなのがなさそうだったし、
あんまり古すぎると馴染みにくいかと判断して、
そこそこ古めで、今現在、重鎮のちょっと手前、
若手は過ぎてて、中堅よりちょっと上くらいの、
という微妙なラインを攻めてみた、というのは、
その作家を知ってからでないとわからないので、
理屈としては、やっぱり順番が逆になる。


そういえば、芥川賞を取るような作品は、
だいたいどれも、ありがちな表現をすれば、
荒削り、と言われるのかもしれないけれど、
そのような優しい目のフィルターを外すと、
要するに、多かれ少なかれ下手なのだと思う。
だいたい、なんでこんなのが、と理解できない、
というのは、自分が文学を知らないから
かもしれないが、さっき下手と言ったのは、
その作家のそれ以降の作品に比べての下手で、
それはそうで、だんだん上手くなるというか、
次第にその作家性が確立されて行くのだろう。


それで話を戻すと、名付けて掘り出し物作戦は、
たぶん僕の中ではいくつか成功したはずで、
保坂和志の他に、川上弘美なんかもそうだった。
ところで、なぜ保坂和志を気に入ったかというと、
実のところ、表紙の写真がきれいで好きという、
意外と文学とは関係がありそうでなさそうな、
まったく本質的でないところでポイントが高い、
という可能性もそれほど低くはない。


今、前の段落のいくつかを読み返して、
ところどころ保坂文体になっていることに気付き、
正直なところ、自分でもすこし嫌になった。
嫌になったという意味は、よく分からないのだが、
しかし、しばらく誰かの文体に染まることは、
それほど悪いことでもないかもしれない。


で、何を書こうとしていたか忘れた。
そうそう、保坂和志のことなのではあるが、
好きだ、という告白を手を変え品を変え、
くりかえし書き綴っても、それはそれで
おもしろいかもしれないが、つまらぬ。
あ、今一瞬だけ、川上文体になったかも、
というのは、たぶん、うそかもしれなくて、
でも本当かもしれなくて、単なる気分。


そこで、あえて声をひそめて書くが、
最近の小説論は、ちょっと、うーん、
押し付けがましいところがあるやも。
しかし、
表現をする人にとっては、
ときどきわがままに聞こえるくらい
我の強いところがないといけない
のかもしれない。


さて、ひそひそ声はもうやめて。
保坂和志の、柴崎友香のフィーチャーぶりは、
並々ならぬものがあって、目が離せない。
だいたい、というようにひと括りにする
のはどうかとも思うが、とりあえず、
小島信夫へのベタ褒めもすごかった。
気に入ったら、推しまくるタイプだろうか。
もちろん、推してもらったおかげで、
柴崎友香を知ったのでとても感謝である。


そろそろ、保坂和志について書くのも
飽きてきた、などというと失礼だが。
柴崎友香は、とても読みやすくって、
保坂和志の書き方に似ているようで、
もちろん似てなどいないところがある。
出てくる登場人物の年齢設定などが、
今の僕とわりと近くて、舞台というか、
物語が進むのも、同時代性を感じる。


保坂和志の本もそうなのだけれど、
これは僕に限ったことかもしれないが、
柴崎友香の本を読み終わった後に、
ディテールはほとんど覚えていないのに、
ほんわかした気分だけが余韻で残る。
そのような雰囲気をイメージして、


軽すぎて揮発してしまいそう


というちょっと思いついた表現が、
なんとなく、妙にしっくりきている。