自分が補助線になる

お昼は新規開拓で、初めて行くお店だった。
ほうとうがメニューにあって、そういえば、
太宰が富嶽百景を書くために、山麓の茶屋に
逗留しているときに、女将さんが、これが
名物のほうとうです、と差し出したら、
放蕩だと勘違いして気を悪くしたそうな。


せっかくエピソードを思い出したけれど、
敢えて、いや深い理由なく、鳥きしめんに。
てんぷらの乗ったきしめんにしようかと
一瞬迷ったけど、値段を見て、小心者で、
それよりは安い方を選んだのは内緒。
とっても美味しかった。ごちそうさま。
きしめん途中に柿ピーを食べたら、
まわりの人が意外そうで笑っていた。


帰りに本屋で新刊をさくっとチェックして、
というか、柴崎友香の新しいのが今月出るらしい、
って新聞に広告がだいぶ前に出てたのを思い出して、
探したら確かに出ていたけど、まだ買わなかった。
前の本をまだ読み終わってない、というよりも、
まだ読み始めてなかった、と思い出したため。


ああ、そういえば、今日か明日に、芥川賞発表だっけ。
星野智幸の豊穣そうな文体が好まれる時代なのかなあ。
なぜか知らないけど、ヘンリー・ミラーを思い出して、
吐き気がするような気がして読み進められなかった。
豊穣な文体ってどんなのか全然よく分かっていなくて、
三島を読んだこともないので、語る資格ないのだけど。


で、今調べたら、もうとっくに発表されてたみたい。
青山七恵という人らしい。うわ、1歳違いだ。
綿矢りさの1歳上、金原ひとみとタメなのかな。
まあ、年齢のことなんてどうでもいいわけだけど。
どんな作風なんだろう。まともだったらいいなあ。


前に、女流の詩人が小説も書くようになるケースが多いと、
新聞で取り上げられて何人か紹介されいてたのを読んで、
日常をありのまま表現するというような手法が流行ですが、
わたしは日常を、ではなく、小説でしか書けないような
世界を書いてみたい、のようなことを言ってる人があった。


日常のおもしろさは、作りこまれたおもしろさと比べて
そんなにひけを取らない、むしろ、もっとおもしろい
かもしれないということを考えるだけでおもしろいのでは。


ボスがちくまという小冊子で、思考の補助線という連載
をしていて、そのタイトルがすごく気に入ってしまって。
補助線というメタファーが好きだよね、と指摘されて、
あ、すみません、勝手に言葉借りちゃってましたよね、
という気分になった。言葉って、だれかの使い方を
いいなと思った人が真似して使ってみて、伝わって。
そうやって広がっていくさまを、想像してみる。


家に帰ると、ベッドに突っ伏して寝てしまった。
どれくらいそうして寝ていたか分からないけれど、
同期の友から、お疲れ〜と電話が掛かって来たので
起こしてもらえて、たぶんあのまま寝続けていたら
布団もかぶっていなくて部屋がかなり寒かったので
風邪を引いてしまうところだったので助かった。


それで、目が覚めて、そう言えば借りてる本の
返却期限が迫っているはず、早く返しに行かねば、
とおぼろげに、行き着けの図書館のHPを見ていたら、
「貸し出しを延長する」というボタンを発見し、
やにわに愕然とした。


実のところ、このボタンに気が付くのは、
これで2度目なのだが。前に気付いてから、
確かあったような気がしたはずなのだけれど、
と思って探したらなぜか見つけられなくて、
見間違いだったのか、他と勘違いしたのだろう
と勝手に解釈してしまっていたような気がする。

このボタンは、少々アフォーダンスが弱すぎる。

それで、返却期限が近付くと、毎度あわてて、
電車に駆け乗っていたものだったわけだ。
これからは、落ち着いて、ワンクリック。