ひもになりたかったんだよ

openlimit2007-02-11

昨日今日と、米谷さんの還暦祝いを兼ねた
研究会に参加するため、駒場に行って来た。
弦と場の最近の発展について聴くことができたが、
正直なところ難しすぎてほとんど分からなかった。


学部レベルの本当に初歩しか知らないので当たり前。
と書いたところで、それは正確な言い方ではない、
ということに、かなり細かいことだけれど、気付いた。


と言うのも、院の授業で、場の理論Ⅰ、Ⅱというのに
学部のときに出て、後者は申請して単位も取ったので、
すると、院の初歩レベルは知っていることになるのか。
Ⅰは坂井さんで、黒板ですさまじい勢いで計算をするので、
どこからあんな勢力が出てくるのか、と感嘆させられた。
Ⅱは伊藤さんで、Ⅰからのつながりを無視して、いきなり
弦をやり始めて、2次元CFTの基礎を教えてもらえたので、
すごくおもしろかったし、このおかげで昨日と今日の話も
理解はできずとも、文脈などのイメージはつかめた。


とは言え、学部も院レベルもどんぐりの背比べ。
PDの人も分からない、と言っていたくらいなので、
世界の最先端というのは、やはり遠いとも思った。
PrincetonやMITなど海外からの講演者もいて、
朝の9時半から夕方6時まで、毎日ずっと、
まったき英語漬けで、結構、わりとくたびれた。
と言っても、自分はしゃべっていないけれど。


1日目は、どこかに知ってる顔がいないかと探したら、
指導教官だった、坂井さんと伊藤さんがいらした。


卒研のときを振り返ってみると、ちょっとさびしい。
興味のある分野について調べてよいということだったので、
前期は、Brane World Modelの端緒を開いた論文の一つ、
mmスケールに新しい次元があるかもしれない、という
突拍子もなく面白いテーマを選んだ。しかし、現在でも、
sub mmスケールであれば、見つかっていない次元があっても、
観測事実に矛盾しない、という意味でシナリオは生きている。
というより、ブレーンがまさに弦理論の主流になっている。
それは、昨日と今日の弦のセッションのたぶんすべてが、
Dブレーン関係の話ということからもよく分かった。


弦やSUSYなどの予備知識がなくてもある程度読める、
という触れ込みの論文だったのだけれど、実際には、
vortexというものが出てきたり、日本語だと、渦。
しかもそれが何なのかよく分からなくて、さらに、
導出に使われる指数定理というのを知らなかった。
数学科の人に聞いても、そんな難しい定理を使うの?
と驚かれたので、とりあえず、いわゆる簡単な方の
指数定理でないことは明らかで、レベルが高かった。
もちろん、ちゃんとやるなら勉強すべきだったけれど。


最初の予定では、次に、ブレーン世界の別の可能性として、
RS Braneについて読むとよいかもしれないと指導されたし、
そうしようと思っていたのだけれど、こちらの方は、
どうひっくり返っても読めそうもなかったので諦めた。
弦はおろか、場の理論だってろくにかじっていないのに、
それでいきなり弦をすっ飛ばして膜の話を調べよう、
というのが土台ムリな筋書きだと強く実感したし。
道理で今まで先輩でこの論文を読んだ人がいない、
むしろ、読めた人がいなかったのだろうことは、
とても納得できた気がした。


そこで、ちょうどその頃に、竹内さんの本で、
ループ量子重力理論の紹介された新刊を読んで、
ぞっこん入れ込んで、夢中になってしまった。




そこで後期は、Penroseの論文が読みたい、と言ったら、
読んだことがない、と返事をされてがっくり来た。
それが、知らないので指導もできない、と暗に
言われているように聞こえて、たぶん実際そうで、
それなら自分で調べて勉強しようと心に決めた。


今でこそ、ループ量子重力の人と、弦の人は、
思想が違って、考え方もまったく異なるので、
今のところ相容れず、お互いに批判し合ってる、
ということが何となく分かるような気がする。
それで、弦の人にループ量子重力の話を訊いても、
知らないのが当然、みたいな顔を堂々とされて、
そういうのもあるらしいですね(興味ないけど)、
という感じであしらわれてしまったのだろう。
この辺りは、多分に被害妄想も入っているので、
実のところどう思われていたかは定かではない。


ただし、来年から、ブレーンはブレインでも、
脳の方のbrainをやることになったと聞いて、
さらに、ペンローズに興味があるとも知って、
そういうあやしい方向になびいてしまったのか、
と勘違いされてしまった可能性は否定できない。
多くの場合、物理の人などが、脳や意識、生命
などを語り出すと、あらぬ方向に進んでしまう、
という危険性がどうも高いらしい事実がある。
たいてい、高名な学者でも、歳を重ねるにつれ、
(自分の死期もうすうす意識するようになると?)
一般の人でも信心深くなったりするような感じで、
とんでもなさそうなことを言うようになったりする。
逆に、名を成したがゆえに、言えるようになる、
という風に見ることもできるかもしれない。


ペンローズが正確にどう言ったか知らないけれど、
意識の問題は、量子力学波動関数の収縮に関係し、
それには重力が関係してくるはず、のようなこと。
アナロジーとして似ていると言っただけかもしれない。
普通の人がこんなことを言うと、ほぼ間違いなく、
とんでも科学の烙印を押されることは目に見えている。
革新的な理論であるほど、思考の飛躍が必要だとすれば、
高く飛んだはいいものの、着地に成功できるかどうか、
の見極めが紙一重でどちらにも転びうるかもしれない。


かつて、アインシュタインが、同時とは何か?
と、当然視されていた暗黙の了解を問うたように、
ペンローズは、時空とはそもそも何なのか?
ということを疑問に思い、理解しようとした。
数々の物理の理論はどれも、出発点として、
平らなり曲がっているなりした容れ物としての
時空を最初から用意しておき、その上(中)で
物理を展開するという手続きを取っている。
それは相対論でも量子論でも同じことで、
理論には最初から容れ物が用意されている。


そうすると、論理的に、その理論は、容れ物
それ自体についての説明能力を持たない。
すべてを説明する統一理論の候補と考えられる
超弦理論においてすら、それがあてはまる。
このようなことを、背景独立でない、と言う。
容れ物を説明するには、容れ物を仮定しない、
background independentな理論が必要になる。


ペンローズが背景独立性の重要性を認識したのは、
しかし、弦理論が盛んになるだいぶ前のことであり、
思想的には、Machの原理に大きな影響を受けている。
もともとのマッハの原理は、質量というものの本質は、
その物体単体では意味をなさず、その物体とそれ以外
のすべての物体との関係性においてのみ決まる、
というような言明である。
関係性こそが本質である、と主張している。


そこでペンローズは、時空より本質的な関係性として、
素粒子の自由度のひとつであるスピン同士の関係性
を仮定した。ここで、なぜスピンを持ち出したのかは
謎としか言いようがないとは思うが、勝手な推測では、
古典的な描像では、スピンは独楽が回っているような
イメージで捉えられ、回っていると言うからには、
何に対して回っているか、という相対的な観点が
どうしても必要になる。つまり、スピンの背後には、
実は、何かが何かに対して回っているという、
二つのモノの関係性が表現されていることになる。
ところが、実際には、標準理論では素粒子は点状
と考えられているので、大きさのない点が回っている、
という意味がよく分からないし、もしも大きさがあっても、
実空間で回っているのではなく、内部空間で「回っている」
ので、いったい何が起こっているのかほとほと不明である。


理由はともあれ、ペンローズは、容れ物を用意せずに、
スピンとスピンの関係性だけを基本に据えたとしたときに、
そこから時空の構造が立ち現れてこないかと期待した。
実際にも、スピンネットワークから、平坦な空間を
構築するところまでは成功したが、どうやってみても、
曲がった空間を作ることができなかったのだそうだ。
それで、光子のペア?か何かから、ツイスターと呼ばれる
数学的な構造を作り、それを組み合わせて時空を作れないか、
という方向に突き進んで行ったが、上手くは行かなかった。
今でもツイスター理論は、数学の分野では生きており、
興味ある対象として研究されているようである。


こう書くと、物理の分野ではペンローズのアイデア
まったく死んでしまったかのように聞こえそうだが、
実は、最近になって、ループ量子重力の分野で、
ペンローズのスピンネットワークの考え方が復活し、
計算にも使われているということである。
そこで、スピンネットの基礎を卒論のテーマに
選ぶことにした。というので、上の話につながる。
卒論では、本当にやりたかった、空間を作るところ
までは議論できなかったが、そこまで行かなくても、
バイノールと呼ばれる図形的な計算は相当におもしろい。
数学の分野で後になって発展した結び目理論のひとつで、
そのあたりのことは、先日の和達さんの研究にも近い。


竹内さんが、まるでマヤの絵文字か何かのようだ、
と表現したりしたように、アートでもあると思う。
たくさん絵を描きながら、ペンローズが遊んでいた
ところを思い浮かべると、楽しくなってくる。
これでD論を書いた(描いた)ペンローズが、
ちょっとうらやましくなったりもする。
その感覚を味わってみたかったわけではないが、
僕も卒論でお絵描きソフトを使ってひたすら
いろんな絵を描いて、大変だったけど、遊んだ。
久しぶりに見返したら、いろいろ思い出した。


これが、お絵描きした卒論。


今回、坂井さんに会って、聞いたところによると、
今までの卒論の例として置いてあった僕の論文を
後輩達が読んで、おおーっと言っていましたよ、と。
内容というより、絵がたくさんあることだとか、
もしかしたら、他の人がファイルに閉じるだけなのに、
しっかり製本してみたことを驚いただけかもしれない。
それでも、後輩が手に取ってすこしでも見てくれた
ということが、なんだかうれしかった。


午後になって、白水さんを見かけたので、
たまたま、すぐ後ろに座っていたこともあって、
軽く会釈をしたら、顔を覚えていてくれたようで、
話しかけて下さった。自転車でここまで来たとか。
最近、大学から家まで歩いてみたら、3時間半も
かかったよー、とか。物理以外の世間話ができる
先生というのは、なかなかいいものだと思った。
そういえば、白水さんは卒論のときの副査だった
ことを今思い出して、発表会のときも、しっかり
的を得た質問をしてくれて、どきどきしたなあ。


研究会初日が終わった後、米谷さんの
還暦を祝うパーティーがあって、そちらにも
もぐりこんでみた。でも会費は取られた。
赤いチャンチャンコを恥ずかしそうにお召しに
なった米谷さんは、とってもチャーミングだった。


そこで僕が学部の頃にPDだったNさんが、
覚えてくれたようで、話しかけてもらえた。
今は、大学のポストが見つかったということで、
文系の人に教えながら研究をしているそうだ。
Nさんに、最近『Dブレーン』を読んで、
すごくおもしろかったという話をしたら、
著者が知り合いなので紹介してくれると言う。


Dブレーン―超弦理論の高次元物体が描く世界像 (UTPhysics)

Dブレーン―超弦理論の高次元物体が描く世界像 (UTPhysics)


そのときは生憎、本を持って来ていなくて、
とても残念だということを橋本さんに伝えると、
それなら、背中にでもサインしましょうか?
と言われて、笑おうとしてフリーズしてしまった。
上手く笑えなかったので、橋本さんがあわてて、
冗談ですよ、冗談。とおっしゃられたので、
それがなんだかおもしろくて、申し訳なかった。
次の日に、休憩時間に本を持って行ったら、
快くサインをして下さって、記念になった。
それを見て、Eさんに、サイン会ですかぁ?
と言われたので、ちょっと笑ってしまった。


二日目最後の話者が米谷さんで、最近考えている
これからやりたい、やらなければならないこと、
についてお話をされた。その内容からすると、
弦および場の理論は今、前期量子論のような
時代に来ているようで、混沌としている。
たしかに、昨日今日の数々の発表を聞いていても、
理論であるはずなのに、いろいろなモデルの話に
終始しているせいか、こういう計算をしたらこうなった、
という意味で、phenomenologyばかりという気がした。


誰もまだきちんと定式化することができず、
よりfundamental principleが何なのか?
ということを解明しなければならないと。
そのためには、数学的な新しい枠組みとして、、
noncommutableかつnonassociativeな数学が
必要不可欠であるということらしい。
これ以上高級な数学というと、いったい、
どんなものになるのか、想像も絶する。


しかし、誰かがこの壁をジャンプしないと
新しい地平線が見えて来ないんだろう。