生意気盛り

(17日追記)
ひらめきはprepared mindに宿る、
というのが正しいのだとすれば
全然しっかりした知識基盤もないのに
わかんないわかんないって言ってても
あそっか、と納得できるわけがない、
のかもしれないな、とふと思った。
今さらだけど、勉強不足に尽きる。


逆に言えば、脳科学とか始めてから
実はまだ1年ちょっとなわけだし、
そんなもんで、本質が分かった!
とか言ったら、それこそウソだ。
わからない方が正常にちがいない、
と開き直るという手もある(笑)。


というか、おもしろさが全然分からない、
という感想は、たぶんそれもウソで。
いくつか気になることとかがあるのに
自分なりに問題が咀嚼できていないし
だから、だれかの受け売りをしている
だけのようなところを払拭できなくて、
むりやりこじつければ、今のところ
いまいちAgencyに乏しいわけだ(爆)。


以下はちょっと激し過ぎてるような感じだし、
生意気にもほどがあるというはずかしさもある。
勘違いしてるなりに、でも、そのときは
どう思ったのかを書き残しておかないと、
たぶん後ですっかりころりと忘れそうなので。
だらだら長いのはいつもの悪い癖。


* * * * * * * * * *


木曜日は不思議な場所でゼミだった。
レジュメが書けていなくて遅刻してしまった。
駅から走って、少しだけ道に迷って、
でも看板を見つけてその矢印方向に進んだら
なんとか見つけられた。


自分の発表は、上手くまとめると言うよりは、
今気になってたり疑問になってるようなことを
ただひたすら列挙するだけになってしまった。
時間がないのに、そういうやり方はあんまり
ベターじゃなかった気はしたけれど。
それを書くために、先輩たちといろいろ議論したり
自分の考えを整理するのには役立った。


それで気付いたこと。自分がやろうとしてたのは、
一度学習したことを、なんとか忘れようとする
のに近いのではないだろうか、ということ。
神経回路網がつなぎ変わって学習が成立したら、
学習前と学習後の状態が明らかに非対称であって、
その移行が不可逆であるなんて、当たり前すぎ。
でも、なんでそんなに元に戻したかったんだろう、
そうまでして忘れたいことがあるんだろうか。


自分でも、指摘されるまで忘れていたのだけど、
物理の方が分かりやすくて、おもしろかった、
という気持ちが少なからず、ないわけじゃない。
数か月前に、String theoryの入門書を読んでいて、
そのイントロにこんなことが書いてあった。

Supersymmetry is a symmetry that relates bosons to fermions. Since all matter particles are fermions and all force carriers are bosons, this remarkable symmmetry unifies matter and forces.
A First Course in String Theory, Barton Zwiebach.


この2文目を読んで、 ああ、そうだったのか!
SUSYっていうのは、そういう概念だったのか。
と強い衝撃を受けて、ものすごい興奮してしまった。
脳科学の論文で、こんなにどきどきしたことが
そうそうあんまりないような気がしてしまう。
でもこの本を読んだらもっとはまってしまいそうで、
怖くてその先を読み進められなかった。


今は物理をやってたらだめなんだよな、と思っても、
かえって物理に対する憧憬が強くなるだけだし、
全然抑制できないし、未練がましく忘れられない。
ときどき、こいつはひも理論やってたんだ、と紹介されても、
ちょっと待って、授業でほんのちょっとかじっただけだし、
全然数式とかで理解もしてないし、あと6年くらいは
勉強しないとダメだって言われたし、足りなすぎるし、
やってたなんて言われると、すごく苦しくなる。
もう一度出直して勉強してこないと、やってた、
なんて、やっぱり大嘘なんじゃないか。


だから、なんとか一度白紙に戻して、物理とかやる前に
戻って新鮮な気持ちで脳科学とかに向き合えたら
もっと楽しくなるんじゃないかとか思ってたのかも。
そんな風に考えたら、もう一度見えない状態に戻る、
どうにかして戻る方法はないのか、ということに
なんであんなに拘ってたのか、分かった気がした。


でも常識的に考えても、一度学習したことを
不安定化して忘れるなんてそうそうできないし、
できたとしても、確かにインパクトはあるけど、
役に立たないというか、意味がないんだよな。
Open-endedっていうのは、学習したことを忘れて
また学習して忘れて、どんどん上書きするんじゃなくて、
どんどん蓄積し続けて豊かになって行くから
すごいのであって、前進し続けられるからすばらしい。
だから、後ろ向きに考えて、今あるものを引き算して
取っ払うんじゃなくて、今あるものに足し算して
さらに付け加えるような方向がいいに決まってる。


数日前、生命哲学の講義にもぐったら、
(11日の日記にも書いたけど、)
こう言ってた。

物理や化学は

すっきり、くっきり、これっきり、
いつでもどこでもなりたつ

ことだけがエライと思ってるから
単純バカなんだ。
生物や生命現象を扱うのなら、
そのバカの壁を越えないといけない。

一番痛いところを衝かれた気がした。


生物学はほとんど全部、現象論ばっかりで、
実験をして取れたデータまでが科学的事実で、
そのあとの解釈はそれぞれの研究者の自由で、
上手い文脈付けこそが重要なんだ、
(ちょっと誇張しすぎだけど・・・汗)
みたいなことが、どうしても納得できなかった。
それのどこが科学なんだろうとさえ思った。
(なんでこんなに生意気なんだろう・・・滝汗)
でもそれは、物理帝国主義に染まりすぎて、
いつまでたってもその流れから脱し切れてない
だけなんだろうなと、頭では理解できる。
でも、まだ実感として分かっていないとも思う。
だから、やっぱりまだ単純バカなんだろう。


じゃあ、自分はいったい何をやりたいんだろう。
脳科学の勉強をちゃんとやってないくせに
批判ばかりしていてもカッコ悪いだけなのに。
Kandelを読んでも、右から左に抜けていって
知識として定着している実感が沸かないし。
ましてや、論文だって、ちっとも読めないし。
どこが面白いところなのかつかめないのは、
とりあえずたくさん数に当たっていないから
なのかもしれないけど、及び腰すぎなのかな。


上の講義でも、

生命科学は堪え性がないとやっていけない

と言ってて、まさに今の自分にとっての
乗り越えるべき課題に聞こえた。
できることからやるしかないんだろう。
何をできるのか、わからないけれど。
でも、やってみてから考えるのも、ありかも。