リアクション精度

行動しないと変わらない、
という意識を持つことも大切だ、
とか適当な標語を思いついた。


昨日に引き続き、講演会に行ってきた。
期待はずれだった、と書いたわりには、
飽きずに参加している自分もどうかと
思わないでもない。


でも、いちおう理由があって。
昨日座ってた席のすぐ目の前に
ちょっと寝癖のついたおじさんがいて、
やたらと大きめの声で笑ったりして
リアクションでかいなあ。
この分野に関心があったりする、
ふつうのおじちゃんかなあと思ってて、
休憩時間にぱっと顔が見えたら、
先週、講義にもぐってわりといいなあ
と思ったばかりのまさにその先生だった。


で、その後も、なぜか観察していると、
(それだけ、そのときの講演が
つまんなかった、という証拠かも?)
原稿を手直ししたり、パワポを見直したり、
(おそらく)明日の発表の準備に余念がない。


その上で、講演の笑いどころなどでは
しっかりとリアクションも欠かさない。
マルチタスクですごい、とか感心
してる場合ではなくて、ちろちろ見える
パワポの画面に、いろんな脳の絵とか
興味をそそられて、内容が気になる。


というわけで、その人の話だけでも、
と思って、重い腰を上げてわざわざ
今日も講演会場まで足を運んだ由。


テーマが、脳と芸術というような
かなり抽象的であやふやそうなのに、
今の脳科学でどれくらいまで言えるか、
先行研究をいろいろ紹介してくれた。

なんでこんなことを私がやってるか?
と言うと、それは私の趣味だからです

と言い切っていたのが格好よかった。
もちろんまじめな脳科学をやりつつ
自分の興味のあるところもちゃんと
サーチして把握しているんだなと。
研究者としてたぶん当然なんだけど。


お昼休憩になって外に出ようとしたら、
霧雨が降っていて、折り畳み傘を開いた。
ワンプッシュの折りたたみというのは
初めて持ったので、開くときにまだ少し
動きに余分なところができてしまって、
そうだそうだ、伸ばし押し開かなくても
ぱっとボタンひとつで全部やってくれる、
ということを身体がまだ憶えていない。


そういえば、午前中のセッションのことで
すっかり書き忘れていたことがあって、
お昼のことを書く前に、そっちを書こう。


朝一番からは、経済学や社会科学の人が、
脳科学とどう連携するか、むしろ、
なぜ連携したいと思うに至ったかの動機
などについての一連の講演があった。


経済学では、ホモエコノミカス(経済人)
の呪縛というのがいまだに根強いらしい。
そこでは、合理的な意思決定が行われる、
という仮定の下にすべての理論が展開される。
でも、主に実験系の人たちが、いろいろな
理論で説明できない現象を発見して来て、
合理的でない可能性を指摘し始めた。


だけど、多くの経済学者が認めないらしくて、
ん、最後通告ゲーム?そんな不自然な状況が
一体どこに存在するというんだ。ばかばかしい。
とかなんとか言ったりして、知らんぷりらしい。
純化しすぎとか、設定が人工的すぎとか、
そういう問題もいろいろあるんだろうけれど、
それにもまして、今まで長年築き上げてきた
いろいろな経済理論の根底が覆されるのは、
なかなか認めがたいものでも仕方ない。


そこで、合理的でないことの証明として、
行動を見るだけじゃどうも埒が明かないので、
脳まで含めて計測して決着をつけようじゃないか。
というような流れが、経済学者が脳科学者と
グループを組む神経経済学のモチベーション
の一つとしてあるということらしい。
経済やってた人が、今度は脳科学ノーベル賞を!
という魂胆がもしかしたらあるかもしれない、
というような邪推もあるとかないとか(笑)。


そもそも科学の方の立場から見たら、
人間を見ずに、合理的経済人なんてものを
いきなり仮定する経済学が理解できないけれど、
経済学の人はまじめに経済学をやってるつもりで、
それできちんと成果を挙げてきたのだから、
もしも経済を何も知らないような人がいきなり
ほら、脳のここが活動してるでしょ、と言ってきたら
どんな気持ちがするんだろう?
最初は面食らうかもしれないけど、そのうち、
共感、利他性、互恵性、みたいな概念が
経済にも受け入れられて入ってきたら、
もうすこし豊かな描像になるのかもしれない。


長々と書いたけど、今だから言えることは、
もしくは、経済学史を知らないから言えるけど、
いつまで人間を見ないつもりだったんだろう、
というのか、脳計測とかの手法がない時代は、
見たくても見れなかったのか、そりゃあそうだ。
そんな根拠のないことを言うよりも、すぱっと
行動だけを見ていればよい、なぜその選択を
したかなど理由はいらない、というような
立場が経済学で主流だったというのも頷ける。


心理学などでも似たような状況はあるみたいで、
行動主義が一世を風靡した後で、でもやっぱり
行動だけじゃよくわかんないよね、という
状況が出現するのは自然な流れなんだろう。
そこで、脳科学の出番が出てくるのかなあ。


で、時間を先に進めて、お昼どき。
神保町のホールで講演会があって、
外に出てふらふら歩いていると、
なんだか古本屋さんがやたらに多い。
なんだろうと思ってよく地名などを
確かめると、神田というところらしい。
そうか、これが有名な古書店街なのかー
いろんなお店が軒を並べている。


と言う感じで、見たこと聞いたこと
あったことをいちいち書いていると、
そのときの実時間と同じとは言わずとも
かなりの時間を日記の作成に割かれて、
これがどんな意味を持つのだろう、
という不安がよぎる瞬間がたまにある。
なんて、メタなコメントを挟んでみた。


とりあえず、散々歩いて悩んだ末に、
よさげな定食屋さんに決めた。
三彩という定食をごはん少な盛り(-30円)
にして頼む、というか、食券を買う。
コロッケが熱々でちょっとびっくり。


午後は、だんだんだるくなってきたので、
このまま本屋さんなんかをぐるぐる
回る方がいろいろ楽しそうな気がして、
でも、雨の中を傘を差して移動するのも
それはそれでかったるいのも事実。
早足で会場に戻ると、講演が始まってて、
そんなに急いでも仕方ないかと思って、
外でコーヒーをゆっくり飲んでから
やっぱりもう帰ろうかと一瞬思って、
でもせっかくだから聴いていこうと
徐に思いっきり遅刻して入った。


午後はお医者さんが多かった。
脳科学、というか、神経科学と
言うべきなのかもしれないけれど、
この分野はいろんな人がいて、
脳外科とか神経外科とか臨床の
お医者さんもたくさんいる。
もちろん実験系の人もいる。


お医者さんって、科学的な好奇心、
なんかに比べようもないような
患者さんを治したい、という
ものすごくはっきりしたモチベーション
があるんじゃないかと想像する。
だから、科学的なことだけじゃなくて、
工学っぽいところもかなりあって、
その知識、技術を使って実際にも
(今すぐはムリかもしれないけれど)
治せないと意味がないわけだから、
応用ということが重要なんだろう。


そういう意味では、ものすごく具体的で、
卒中後の片麻痺を治すにはどうするか、
というのが今日の一つのテーマで、
その治療法として、皮質表面に電極を置いて、
直接、電気刺激するというのがある。
電極を刺さずに、置くだけということで
低侵襲ということであって、それでも、
頭蓋骨に穴は開けなきゃいけないけど、
手術としてはほんの1時間くらいで、
埋め込むだけなので簡単な方だと。
(それを簡単だと表現できる感覚が
すごいというか、プロなんだろうけど。)


運動野に直接ビリビリ刺激しながら
リハビリすると効果が高まるらしい。
実際の症例をいくつか見せてもらって、
かなり指が曲がるようになったり、
運動指標などのスコアも改善する。
従来は、医師は片麻痺などの患者さんを
はげますことしかできなかったのに、
直接的な治療法になりうる期待がある。


他には、BMIの基礎研究などとして、
これもお医者さんだからできるのだけど、
人間で、腫瘍の除去手術のときなどに、
患者さんに協力してもらって、
皮質上に直接電極を置いて、
どれくらいデコーディングできるか、
という実験などをしているとのこと。


実際に見せてもらった画像は、
頭蓋骨をぱかっと開いた状態で、
手を握る、腕を曲げるのような
運動を繰り返してもらったときに
皮質表面の電極でシグナルを拾って、
逆に、その信号からどれくらい
運動を推定できるか、というもの。
結論は、中心溝に沿ってたった
4つ電極を置いて信号を取るだけで
80%の精度で運動を予測できた。


なんか、もっと細かいところまで
書かないと、なんのこっちゃ、
という感じがかなりしているけど、
とにかく、サルじゃなくって、
ヒトでもこんな実験できるんだ!
というのがちょっと驚きというか。
もちろん、普通の被験者にやろうとすると
倫理的な問題とかで困難だけれど。
除去してもいい部位とかを特定する、
といった目的も兼ねているわけだから
一石二鳥などと言うと聞こえは悪いけど、
こうして基礎的な実験データや技術を
高めていくのは必要なことだと思う。
BMIやBCIがどうおもしろいのか、
ということは別として、臨床に役立つ
とかいう側面は重要なのかなと。


何が書きたいのかわからなくなってきた。
でもとりあえず、脳をパカっと開けて、
脳ミソの表面にぽんぽんと電極を
置いてる画とかをまざまざと見せられると、
実に生々しいというか、鮮烈というか、
fMRIのスライス画像とかを見てるときと
全然ちがうリアルに迫ってくる感じが
なんとも、そわそわするようで、
脳って生きてるんだ、当たり前だけど。