途中下車

帰りに、ちょっと資料を借りようと
研究所にふらっと立ち寄ったら、
先輩がKohonenの本を貸してくださった。


Necker Cubeという全く同一の刺激(入力)が
異なる知覚(出力)を得うるということが、
意識の存在証明にはならないと主張する。
この本では、心の働きや意識といった
形而上学的な概念を持ち出さなくとも、
(原理的には)脳を機械的に説明できる。
という思想が徹底して貫かれている。


気になるのは、原理的に、がどれくらい
実効的な意味を持つのかということ。
しかし、これは、認識のニューロン原理
のことを言っているだけなのかもしれない。
ニューロンの発火以外に起源を求められない、
ということが正しければ、そうなるのか。


でも、脳が精密機械にすぎない、という
表現をするときの違和感はなぜだろう。
機械に対するイメージが貧しすぎるのか。
もちろん、今ある機械のどれとも似ない、
そんなものを機械と呼んでしまう横着に
躊躇を感じてしまうだけならつまらない。


朝早く7時半くらいに起きて活動したので、
さすがに疲れていないわけもなかった。
それで、すぐに帰るつもりだったけれど、
一度席に座ってしまうと、立ち上がれなくて、
先輩たちが一心不乱に研究している雰囲気に
気圧されて、自分も何かしなければ、と。


他の本を開いたら、いろいろ線が引いてあって、
分厚い本なのに、途中で終わらず、最後まで
重要そうなところに線が引いてあったのを見て、
先輩がこの本で勉強したという確かな証拠に、
なんとしても追いつかねば、という気にもなり。
1章分を読破、理解したかどうかはともかく。
夜7時近くなって、エネルギー切れを感じたので、
まだ来てそんなに時間は経っていなかったけれど、
限界かと思って、そそくさと先に失礼した。


傘を出して差そうとカバンをごそごそしていると、

もう〜、○○さんも、××ですよねぇ〜、

といきなり知らない人に話しかけられて、
まさか自分に対してではないと思っていたら、
人違いをして、僕に話しかけていたようで
かなり面食らってしまった。

○○さんはあっちですよ、

と周りにいた冷静な人に突っ込まれるまで、
本人も全然気が付いていない風だったので
おかしくなって少し遠慮気味に笑った。

眠いから眠り止めの薬を飲んだのに、
もう眠くて眠くて〜

とその人は同僚に言い訳をしていた。
そうか、眠くてぼーっとしてたのは同じ、
だから僕に向かってしゃべってる、
というのもすぐには気が付かなくて、
かなり遅れたリアクションも小さすぎて
向こうに気付かれていなかった(笑)。