未来
昨日はひさしぶりにプログラミングで遊んだ。
とわざわざ書くほどのことをしたわけでもなく、
昔書いたソースの関数をいじっただけ。
手計算だと、う〜む、こんなんでいいのかな?
つながり方がどうもわからん、というところを、
グラフソフトがすいすい描画してくれると
ちょっとうれしくなる。
自信がなかったので数値計算に頼ったわけだ。
結局のところ、手計算の方がまちがっていた。
かんたんな計算もできなくなっているらしい。
なげかわしいのか、喜ばしいのかどちらだろう。
なくても困らず、必要のなくなった知識が
するする逃げていくのはちょっとさびしい。
でも、そうして忘れてぽっかり空いた空白に、
今大切なことが次々入ってくるのだとすれば、
あながち喪失だけではなく前向きな意味も。
できなくなった分、何かができるようになったはず。
今日読んでいた保坂和志の『草の上の朝食』で、
――前作の『プレーンソング』のときもそうだけど、
ゆみ子は電話の向こうから、いつも唐突なことを
自然に言ってきて、それでいて妙に説得力がある
という役回りで、あんまり論理的ではないし、
いつも飛躍しているけど、はっとさせるような
風変わりな発想のことを言うことになっていて、
それが正しいとか、道筋がはっきりしているとか、
そういうことは度外視して、いいことを言う――
ゆみ子が、
「未来っていうのは、新しい習慣をつくること
の中にしかないと思わない?」
と主人公に電話で語りかけていて、それでも、
主人公は、未来と言う言葉には胡散臭いような
響きしか感じられない、というようなことを
つい思ってしまって、未来とは何か訊き返すと、
「だから、未来っていうのは、現在を肯定することよ」
と言い切ってくれて、とても歯切れがよい。