はからずも展望台で

openlimit2007-07-10

久しぶりに講義に出よう! と思い立って
急いで教室に行ってみたら真っ暗だった。


あー、やってしまった。


13階の(たぶん)リフレッシュコーナー
(でも飲食はご遠慮ください、と書いてある)で、
呆然としながら、雨の東京の景色を見下ろす。


手前に後楽園があって、そのずっと向こうに
新宿の高層ビル群がにょきにょき生えている。
雨に濡れそぼって、霞んでいるのだけれど、
前面ガラス張りで見晴らしはとてもよい。


背の高い椅子で、足が地面に届かないので
(そりゃあそうだ、13階だものって、
そういう意味じゃなくって、床に、ね)
宙に浮いた足をムダにぶらぶらしてみる。


左右に幾人か、平生を装ってはいるけれど、
同じようにまちがって来てしまったかも
しれない人が何人か座っているようだ。
いや、単に研究の合間に休憩しにやって
来ているだけかもしれない。
でも一人、友達だかに電話をかけて
今日って○○の授業ってないんだっけ?
と確認を取っている人を発見したので
少なくとも一人はいたことになる。


ここで空いた時間を、ここまでわざわざ
電車を乗り継いでやって来たというのに、
高い交通費を、どうしてくれるんだよう。
というように最初は考えてはみたが、
せっかくなので、本でも読むことにした。


せっかくついでに、養老猛司の
文庫本を一冊一気に読み終わって、
Natureのエッセイもひとつ読めた。


こういうときは、案外はかどるものだ。
もとを取らなければ、とかせこいことを
無意識に意識していることもあるけれど、
この場合の「もと」って何なんだろう。
眺望のいいところで眼下に見渡しつつ、
本でも読みまくるのは、もとがなんであれ、
たまには気分よいものであるということ。


アクティブな気分になっているので、
でもしばらく座っていて身体をほぐそうと、
階段で降りることにしたのだけれど。
やっぱり13階分の階段の味気なさは
ちっともいただけなかった。


このまますぐに帰るのもなんなので、
(まだ「もと」が取れていないのか!)
三四郎池でもぐるっと散歩していこう。
池までのアプローチの道が狭くて、
両脇から笹だとかなんだとかが
ぐわっと伸び盛っていて通せんぼして、
しかもそれが濡れていて緑が濃い。

錦鯉が仲間に加わりました。
みんなで見守りましょう。


小学校みたいなプレートが
池に立っていて、ちょっと笑う。


他のもっとまじめな看板には、
正式名称は育徳園心字池と言う、
なんちゃらかなんちゃら、と。
ところで、小川三四郎って
誰だっけ?とかうそぶいてみる。
実は読んだことなかったりする。
姿三四郎とは何の関係もない。


それから、講堂をぐるっと回って
近くよりは遠くの駅へ、と思い、
御茶ノ水までてくてく歩いてみた。
昔一度歩いたので道はなんとなく
覚えていて、それが意外だった。


最後にしつこく丸善で立ち読みした。

マンガコーナーが増床しました。


という張り紙に、ひどい違和感。
増床ってこういう文脈で
使う言葉だったっけ。
語感的に増殖に聞こえたから
気持ち悪かったってのもある。
漫画のバリエーションが増える
ことはいいことだろうと思う。


福原泰平という人の「ラカン―鏡像段階
という本をぱらぱら読んでみた。


ラカンがどんな風にしゃべるのか。
カニアンのジジェクもそうだけど、
実はご本人の姿も見られました。


"Television": Lacan on the unconscious.


意外と?落ち着いているね。
でもないか。結構、激昂してたり。


テレビがある時代の思想家なのだ、
ということをあらためて認識する。
「現代」思想とはそういうことか。