Bereitschaftspotential

openlimit2007-09-25

Benjamin Libetの"Mind Time"を読み終わった。


感覚入力からawarenessが立ち上がるためには
少なくとも500ms以上持続する神経活動が必要!
ということを実験的に確かめたのだという。
触覚刺激の存在に意識的に気が付くまでに
要する時間を測ったらそれだけかかったと。
皮膚のレセプターを機械的に刺激するだけでなく、
感覚上行路を直接電気的に刺激しても結果は同じ。


ここで重要なことは、数msの刺激を弁別できる
という事実と、刺激に気付けるかどうか
ということは全く違うものであることだ。
つまり、刺激の弁別は無意識下でも行えるが、
気付くには意識が立ち上がらなければならない。


もうひとつ興味深いことが発見された。
末梢から中枢へ信号が伝わるのにかかる時間に加え、
awarenessが立ち上がるまでに必要な500msの分だけ、
刺激が意識的に知覚されるまでには遅延が生じるはず。
しかし、実際はそのような物理的な予想に反して、
意識の上では遅れがないものとして感じられている。


このとき、時間的に逆行してある意味“記憶を書き換え”て
つじつまが合うように調節された主観が作り出される。


車を運転していて、急に何かが飛び出して来たら
あわててそれを避けるため意識的にブレーキを踏んだ、
とわれわれは感じるだろうけれど、実際に起きているのは、
ブレーキを踏んだのは無意識下で、それからしばらくして
awarenessが立ち上がり、このとき、時間的に逆行遡及して
何かを避けるためにブレーキを踏んだのだ、という
後付けの解釈としての主観体験が創作されている。


面白いことに、この遡及は末梢への刺激では起こるのに、
直接感覚皮質を電気的に刺激しても起こらないらしい。
それは、心理的な時間をつぶす神経基盤が分かっていない
ということと関係するのかもしれないとふと思った。


Libetの業績で一番有名なのは、時計の実験だろう。
オシロスコープ陰極線をぐるぐる回して、
普通の時計で1s相当針が進むのに43msしかかからない
一周でも2.56sの高速回転する時計を作成した。
そして、気が向いた好きな時に手を動かしてもらい、
そのときの時計の針の目盛を後で報告させた。
同時に頭頂の脳波を測って、比較すると、
手を曲げようとする意図が意識されるよりも
前に脳内に準備電位が生じていた。


意図が生じる前に脳活動が始まっていることから、
そこには自由意志がないということになるらしい。
意識的にその脳活動を起こしているのではないので
自由じゃないという論理だろうか。たぶん。


しかしここから、自由意志を助け出すためのLibetの
救出作戦が展開する。自由のための戦いとでも呼ぼう。
Libetですら、自分によもや自由意志がないとは到底
主観的に納得できなかったということだろう。
そして苦し紛れかそうでもないか判断は分かれようが、
たとえ意図が生じるところに自由はなかったとしても
一度その意図が意識に上ったならば、その意図を
実行に移すかどうかの判断の自由が残されていると。
つまり、行為の拒否権があるので、自由意志は救われる。


そんな理屈で本当に救われたのかよく分からないけど。
そもそも疑問なのは、EEGで測れる準備電位とか、
脳波だけが脳活動ではないんじゃないかということ。
空間的に加算したら消えてしまう成分とか、
複数の試行で加算したら消えてしまう成分とか、
たとえば、自発発火とかはどうなってるの?
それ言い出すと、脳は常に活動してるじゃん、
てことになって、意図が先か脳活動が先か
という議論なんてあんまり意味がないのかも。
とか言い出すと、夢がなさすぎるんだろうか?


少なくとも、EEGにひっかかるものだけを
自由意志との絡みで議論の対象にしてるだけだと
足りなすぎる気がするのだけれど、どうだろう。
今ある技術で検出できるものだけを相手にするのは、
できることをしてるという意味で大切なんだけど。


ちょっと話を戻して。好きなときに手を曲げる
という実験は、実はLibetよりも前からあった、
ということを初めて知った。そうかそうか。
Kornhuber&Deecke,1965という先行研究があると。
6秒以内の好きな時に意図して手を曲げてもらう
という実験を行い、そのときの脳波を測った。
そして、Bereitschaftspotentialという成分を発見!
英語だとreadiness potential、準備電位である。


6秒ってのがちょっと短くて速い気がするけど、
もっと長くしたら違ったりするもんだろうか。
あっ、やべやべっ、早く曲げなくっちゃ、という
強制が起こりそうなのを教示でどう統制したんだろう。
それより、behavioralにどんな結果だったか知りたい!
ドイツ語の論文なんだよね。訳されてないんだろうか?


話をLibetに戻して。彼は今年の6月23日に亡くなった。
ちょうどASSC11の会期中だった。メーリングリスト
Christof Kochが訃報を書いていたのを読んで知った。
著作の中で、思弁的であることも悪くはないが、
実験的に検証可能かどうかを常に問い続けよう、
という姿勢を崩さなかったことが強調されている。
それは、哲学者たちとの議論からの影響もあろうが、
科学者としてできることは何かを真摯に受け止めたこと
の表れではないか。確かに正しい態度のように思える。
口先だけでなく実験をすることも大事だなと感じた。