潜在性としての開放性

openlimit2007-09-30

日記をこちらに書くことにした。
SNS内じゃなくても別にいいかなって。


それで、あらためてこのはてなの方を見たら、
自分がなんで

"openlimit"

というIDにしたのか、おそろしい謎だ!


いや、出所は覚えているのだけれど、
それともうひとつ、日記のタイトルの

"Open-Ended"

とはいかなる関係にあるのか?


まず、open limitとは何だったか。

 生命や環境概念に適した、いわば弱い極限というのは、
有限、無限の中間に位置する、きわめて大きい数、
に相当する概念なんだろうか。
そういう言い方だけでは不十分かもしれない。


結論を先取りするなら、より動的で、有限、無限の間を
行き来するような、そういった記号ということになる。
それをオープンリミット(開かれた極限)と呼ぼう
ということさ。


もうお気付きのことと思うけれど、さんの本*1より。
ちなみに、当然だけど、対話相手はPさん。
は互いに交換可能だろうというジョークを
だれかが書評で書いていたのを覚えている。
[Y,P] = 0
と書くとすっきりする人もいるかもしれない*2


おそらくも、

数理的な科学

平易な言葉*3による哲学

を志向しつつ

その両者を統合し、かつ無効にする第三項

に惹きつけられる人の心

に火をつける演算子にちがいない*4


オープンリミットの立ち位置も、
有限と無限 にを作用させること
によって生まれた概念だろう。

 オープンリミットは、第一に、具体的な有限の事例と、
理想化された理念的総体としての極限との、区別を創り出す。
ところがひとたび、この区別を実行すると、極限なる記号に
潜在していた別の有限が湧き出してくる。


つまり、オープンリミットは、具体的個物と理念的可能性の
区別を創り出し、この区別を潜在性によって切り返し、
無効にする、そういった装置さ。
だから、まさに質料性を体現する装置なんだ。


そうか。open limitってそういうことか。
なんかちょっと憧れて*5そんなIDにしてみたんだね。
open-endedともそんなに遠くない気がしてきた。
有限の終わりに収まらずに無限を志向する。


なんだか末恐ろしくもある始まりだね。
開けてくる未来に向かって、こんにちは。


 

*1:生きていることの科学 生命・意識のマテリアル (講談社現代新書)
 

*2:すっきりしない人のために。
   [A,B] = AB - BA は交換関係。
 

*3:>>描きこめる「太い線」としての、スマップ草磲の立ち位置
とか。その意味が平易だという意味では断じてない。
 

*4:ぼくの独断と偏見です(きっぱり)。
でもそんなに大きくはずれてはいないと思う。
 

*5:の作用をばりばり受けてるのかな。