タモリさんに会っちゃった

今日はすき屋で初めて「探索」することにした。
しばしメニューを見て悩んでたらタイムプレッシャーを
掛けられたので、いざ、高菜マヨ明太牛丼を頼む。
意外とイケる!ちょっとピリ辛。お腹いっぱいごちそうさま。
「利用」に飽きたらぜひ。踏み出してみるのも悪くない。


一度会ってみたいなと思ってた人のトーク
前半は数が楽しいお話。ぶっ飛び具合がすごい。


後半は持続する色知覚に対応する神経基盤が
めぐで見えないんだよね〜っていうお話。
変化をdetectionしてるところは見えたよ、
というそれだけじゃあだめなんだろうか。
微分器が見えてるからいいじゃん、でもないか。
そんな単純じゃないよね。


次に入力が変化して(って連続的に変化してるけど、
閾値を越えるなりして)更新が必要になるまでは
知覚の状態を変えないということで足りてる、
と考えたいけど、じゃあその「情報」(って何?)は
どこにバッファされてるのかってことと、
「状態」(って何?)を表現してるところが
やっぱ見つからなきゃだめじゃんね。あうー。


NCCを探そうっていうときの方法論として
果たしてその計測技術で見えるものなのか?
ということは常に慎重に考えなきゃいけない。
およよ、意識が遠ざかって行く。
(眠たいって意味、ではなく。ここでは。笑)
でも、誠実に考えてる人がいるんだって
ことが分かって、なんだか安心した。


欲しかった本を2冊ほど衝動買いする。
区切りが付いたからもういいよね。


それで、小林秀雄の研究者の対談を読む。
愛に満ちてる気がして、ぽかぽかしてくる。
届かなくても、想像することはできるし、
感じられるんだって教えられた。


以下無用のことながら、適当な雑記ろぐ。


2/20
気になるテーマのシンポジムがあって
1か月以上前に申し込んであったけれど、
行かないことにした。否、行けなかった。
自分自身が創造的になればいいんだもん。


自分のために、修論を直すことにした。
もうどうせだれも読まないんだけど、
細かいところとかいろいろ修正作業を通して
考えをまとめるために。


その後、新しいメディアを借りてきて
PCをリカバリした。成否は運次第な気がしてくる。
また何度も何度も失敗したけど、ようやく完了。
なんたるムダな達成感!時間を返してくれー。
どうせならもっと建設的な場面で味わいたかった。

でも、まあたまにはいいことにする。
となりの研究室の人と協力できたし。
リカバリ最後の秒読みところでは皆で
わくわくどきどき、盛り上がった。


2/19
試験は途中で飽きてしまった。
自由筆記の設問があったので、とりあえず、
書きたい放題、思いっきり喧嘩を売っておいた。
面倒いので文字数制限とか無視してしまった。


落ちてたらちゃんとやり直そ。


試験の後、PCのリカバリをする。
どれが正しいメディアか分からなかったので
考えうるすべての組み合わせを試してみた。
(7枚組のとかあって、もう死にそうだよ。)
何度か最後まで行ったけど、文字化けして
やっぱり死んでしまった。最後の最後でかよ。


6時間以上かけたけど、結局ダメ。


プリッツを50本くらいやけ食い。
くちびるが塩辛くて泣けてきた。
ごめん。また買っとくね。


2/18
ポスターセッションだった。


開いてる時間に、なんとなく顔見知りの
同期の人たちの発表を聞いて回る。
みんな懇切丁寧で説明が長い
(一人平均30位しゃべってくれた)
ので、3人分くらいしか聞けなかった。
どれもなかなかおもしろくてまじ感激。


まったく無関心に前を素通りしていく人
とかがいると、ああこの人の琴線には
毫もかすらないテーマだったんだな〜と、
逆に新鮮な感じ。で、たぶん、ぼくも
その人がやってることにはこれっぽっちも
興味なんて持てないかもねと思ってみた。


2/17
ポスターの準備をしてたら終電っぽかった。
こんな遅くまで大学いたの久し振り。
あやうく逃すとこだった。ふー。


2/15
まだ絶対飲まないぞ。飲むには時期尚早だと言い聞かせて、
2月に入ってから、少なくとも3つは飲み会を断ってきた。
まだ打ち上げてはいけないという気持ちが強かった。
時間的に厳しかったという理由は差し引いたとしても、
なんでそんなにstoicだったのか自分でもわからない。


ということにしておこうかと思ったけど、本当はウソ(笑)。
研究室の飲み会が楽しみで、ずっと我慢してたのかも。
いちばんまったりできて、ほっとすることができるから。


変に気を使わなくていいというか、別にノリが悪くても
誰にも咎められないし(ぉぃ)、というよりそういうキャラだ
ということで許される気がするし(ぇ)、言いたい放題で
勝手に暴走するのは他の人に任せればよくて(ぷっ)。


いやいや、同期のやつはあれでなかなかいいやつなんだ。
「そういう態度が一番ムカつくんだよ」と切れられもするけど、
そういうお前のデカイ態度がムカつくんだよと言い返す
キャラでもないので軽く聞き流してあげることにして。
仲が悪いという噂も立つけど、とりあえず否定しておいて。


研究室のメンバーでいるのが
妙に居心地がいい。
今日すごく楽しかった。


2/12
またかよ。


今日こそ! いさんで出かけた日に限って
たいてい休館日だったりする。


図書館とか。いやんなっちゃう。


わざわざ取り寄せた論文が、じつは
ネット上にpdfで落ちてたとか。


このバツの悪さはどこからくるのでしょう。


とか書くとまた失敗したのかよー?と
思われがちだが、しかし今回はちがう(笑)。


図書館のカレンダーを調べたら
案の定、今日が休館日であったことに気付いた。


さらに、頼もうと思っていた論文を
もうひとふんばりして探しまくったら
フリーで公開されてるのを発見した。


おお。未然に回避したぞ。
なかなか小気味よい立ち上がりのメタ認知
何回目で失敗に懲りるのか、というのは
やっかいな認知科学の問題です。
でも、学習できないことの適応的な意味も
考えましょう。それはどういうことか?


ふつうは、学習したら同じ過ちを繰り返さず
次に活かせるわけだからadvantageのはず。
でも二度あることは…などと諺にもあるように
同じことを繰り返してしまうのも世の常である。


失敗が教師信号にならないのはなぜか?

1) 失敗に気付くのが遅すぎて強化が弱い
2) 失敗体験そのものの強化が強すぎて修正しにくい
3) 失敗を本当の意味で認識できていない
4) 実は「失敗」ではなく、隠された意味があった
5) 記憶を都合よく編集して美化してしまう
6) 失敗を楽しんでいる
7) 強化するには学習回数が足りない
8) 強化すべき重要度、優先順位が低い
9) 教師に反発してしまう反抗期
10) せっかくの信号のS/N比が悪い

って、ぜんぜん排他的な列挙じゃないし、
半分ギャグだし、ごまかしてるぞ。


こういうのはどうだろう。


「脳は不確実性を減らしたくながっている。」


え、だめ?そんなの変?
(というか日本語が変?ってつっこみもアリ。)


強化学習の限界ということについて
このごろ考えていて、思案中。
注意すべきなのは、「強化学習」の限界であって
学習そのものの限界ではない点である。


で、ひとつ気付いたことは、
強化学習は未来を扱えていない!

ということ。ここはかなり重要。


続きはまた。(唐突だな。)


counterfactualばんざい三唱(小声で)。


2/11
不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし十五の心


空を見てふいに口をついた。


これ、20代半ばに石川くんが詠んだ
ってことをついさっき知った。
そう思うと沁み方がちょっとちがってきた。


http://www.1101.com/ishikawa_kun/essay_02.html


2/8
昨日、島田雅彦さんの対談記事を読んだ。
どこかの雑誌の切り抜きだとおもう。
(対談自体は1年ちょっと前と書いてある。)


世界には約6000の言語があると言われてるけど、
その多くは絶滅の危機にひんしているって。


60億を6000で割ると、100万になるわけだけど、
1言語100万人なんてわけはもちろんなくて。
きっとロングテールになるんだろうね。


おおざっぱに分けて、農耕民族の言語は
話者がある場所に固まって大勢いるので安定で、
一方、狩猟採集民族の言語は分散して
少数になりがちだから途絶えやすいらしい。


そして、絶滅しそうな言語を守らなきゃ、と
言いだすのはmajorでdominantな方の人で、
破壊してそういう状況を招いてしまった張本人
であることが多い。だから、罪悪感がある。
動物でも、自然環境でも、どれでも同じ構造。


どうでもいいけど、語族っていう響きが懐かしい。
ニジェール・コルドファン語族とか、
ウラル・アルタイ語族とか、そういえば
昔、地理の時間に習ったなあって、
それらが何かは忘れたけど思い出した。


インド・ヨーロッパ語族というのがあって
あれっ、その2つってつながってるんだ、
というのは、初めて聞いたときにも
同じ感覚を持ったのは覚えている。
東欧とインドってつながってる感じが
ぱっと思い浮かばないのはなんでかな?
世界地図で見ればすぐわかるのに。


というような話とはまったく関係ないけど、
最近、これまでの自分の英語の勉強方法は
間違ってたと強く確信するにいたった(笑)。
辞書で単語の意味を見て1対1対応を
むりやりつけようとしたり、あるいは、
なんとなくフィーリングで適当に訳す、
というのもやっぱり違うんだろうと。


言葉の意味がそれひとつで浮いてる
なんてことはもちろんあり得なくて
他のどんな語と組み合わされるとか、
どんな文章中で使われるだとか。
関係性であって、それしかないと。


今さら強調されることでもないけど、
「言葉におけるマッハの原理」
と言い換えたら、なぜか無性に
やっとわかった気がしてすっきりした。
(自分の知ってる言葉に置き換えられた、
ってのもひとつの進展かもしれない。)


他の言葉を使って何通りにも換言できたら
わかったことにしてもよかろう、というような
命題を主張してる人に会ったことがある。
というか、子供をしかるときに、わかった、
と言ったら、じゃあ同じことを10通りの
別の言い方でも言ってみなさい、と
子供をしかるらしい。すごい親だな。
でも確かにそうすると、子供もちゃんと
わかるらしい。自分がわかったときと、
わかった気になってるときの違いが。
(たぶんそんな話だった気がするけど。)


それを聞いたときは、本当かなと思ったけど、
たとえばある単語を別の言葉で何通りにも
説明できるということは、その単語の意味を
規定していることに限りなく近いわけだ。
というより、辞書はそれをやってるわけで、
意味を説明するのに、その単語以外を使って
なんとかそれを説明しようと苦心している。
それ以外に方法がないんだから仕方ない。


という当たり前のことなんだけどさ。
単語とか語句とかどんな単位でもいいけど、
今までそれらの周りを全然見ないで、
同じ単語の意味を何度も辞書で引いては
すぐに忘れる、というのを繰り返してきた。
有機的につながらないのも当たり前だった。
たとえば、10通りの表現にしてみる、
それだけでも定着の度合いが全然違う。


一本一本の線は細くても、束ねれば太くなり、
リンク構造が豊かなほどrobustになる。
もうさっきからくだらないことしか書いてないし、
あほな気すらするけど、中1のときから
延々ずっと英語ができなかった理由が
すこしずつわかってきた気がしてきている。


グラフの1つずつの辺ばっかり個別に見てて、
頂点のところを無視していたんだなと。
いろんな辺が交差するところが大切なのに。
とりあえず違う言葉で説明をしてみた。
まあこの比喩だとわかった気がしないけど、
そんなことは気にしないことにしよう。
で、たぶん、これが比喩じゃないってことが
本質だったりするのかもっていうことも。


2/6
無事、だったかどうかはさておき、
強引に乗り切りました。いぇい(←おい調子のんなっ)。


先輩や後輩が応援に駆け付けてくれてて
すっごいうれしかった。ありがとうみんな!
時間割いていろいろ議論してもらったり、
いろいろ指摘して教えてもらったりして
なんかこんな幸せ者でいいのかって。
すごくいい研究室にいるって実感わきます。


発表は、、、
なんかもう高揚しちゃって変なグルーブに
支配されてて、えっ、このドライブ感は
いったいどこから来るわけ?
どっかいっちゃってませんでしたか。
くらい、ほとんど壊れてた気がします。
意味不明なくらい語気を荒らげて強気な態度、
ほとんど不遜と言える危険なレベルで、
(実際N先生的にはっきりアウトな言い回しで、)
うおーうぉーうぉーみたいに狂って。
かろうじて日本語になって聞こえてたのなら
それがせめてもの救いだと信じたいよ。


始まるまでは意外と冷静だったのになぁ。
(事の重大さに気付いてなかっただけか!?)


時間を戻してみると、、、


D部屋で配布資料とかをのんびり用意してたら、
気付いたら開始5分前になってて、うおー遅刻じゃ。
余裕を持って1時間以上前に到着してたのに〜、
というわけで、走っておりました。


そしたら、おとなり研究室の二人が反対方向に走って来て、
あれっ、会場そっちだよね。場所まちがえてる?
と思うまでもなく、会場にPCがなくて困ってて、
急いで取りに帰るところなんだという事情らしい。


あ、じゃあこれ使えばいいじゃん、と僕が持ってたのを
みんなで順番に使おうってことになりました。
てなわけで、運よく、それ以上パワポをいじれない
状況になってくれたので、もう少し変えようかとか
見栄えをよくしようとかいろいろ懸念していた案件は
いっきに全部吹っ飛んですっきりできました。わぉ。


なので、もうこれ以上うじうじ考えてても仕方ないし、
素直にお二人の発表を聞くことにしました。
あー、なんか発表の練習をきっちりやってて、
準備万端で滞りがなくていい発表だなーと
思いながら聴き入りました。ほれぼれ。


そうこうするうちに自分の番がやってきた。早いな。
パワポに全然書きこんでおかなかったから
それを読むってことができないし、というか、
英語で書かれてるからそもそも読めないし(笑)、
だったら日本語で書けよって突っ込まれるわけだけど、
文字で書いてたら書いたで突っ込みどころ満載になるのは
目に見えてるので、言葉で説明することに。(ずるい?汗)


とかなんとか、まあ要するに行き当たりばったり、
出たとこ勝負で、当たって砕けろで、即興というか
その場の思いつきで説明をしてみたわけでした。
ありえねーというか、ちゃんと練習しとけよ。


時間を確認しながら、最初は時計をちらちら
見てたけど、途中からそんなことすっかり忘れて。
なんかこう頭にかーっと血が昇ってる感じで、
無我夢中で思いついたことをしゃべってるだけ。
まあアドリブにしちゃあ悪くはないかなと。おいおい。
結局だいぶ時間オーバーしてたらしい。
というより、途中で何度か鈴が鳴ってたけど、
はっきり完全ムシを決め込んでおりました。
あれっ、今のって何鈴目だっけ?まいっかって。


ねーねー、それより、発表とは別に
今後の展望5分の別枠があったんじゃないの?
発表15分、質疑応答9分、今後の展望5分、入れ替え1分
という風な流れだというように伺っておりました。
でも鈴の鳴らし方が全然そうなってなかったし、
今後の展望はどのタイミングで話すんだよ?
と確かめるひまもなかったので、ぶっ続けで話しました。
だとしてもやっぱり時間オーバーだったんだろうか。
もう自分が何分しゃべってたのかよくわからん。


うーん、あんな言いたい放題の発表でいいのか。
もちろん、質疑応答でびしばし批判が出たわけだけど。
で、結局、言いたいことは何だったわけ?っていう、
こう、いちばーん痛いところを衝かれるわけですね。
あ、そこ、そこなんだよ、そこそこ、よく分かってらっしゃる、
まさにそこなんですよ問題は、もうなんていうかさ、
そこをなんとかもっとはっきりさせる方法をですね、
自分がやったことのもっと論理だてた説明をですね、
やれよって話ですよね、ごもっともすぎて泣けます。


やってみたらこうなったんですけど、だから何?
というか、何が言いたかったことなんだっけ?
というより、何が言えたらうれしかったんだっけ?
で、それは言えたんだっけ?言えなかったっけ?


実験やる前にちゃんと考えていましたか??


うわー、すみません考えてませんでした。たぶん。


今後の課題がいっぱーいあります。
これも、あれも、こんなことも、うわこれもかよ。


だったらなんでそれやらなかったんでーすか?


ごめんなさい。それは昨夜思いつきました。
とは言えないぜ、さすがに。


あうーーーーー。


まあ終わったことは終わったことだし。
今さら反省点をあげつらっても仕方なく、
今後に活かして行く方向性でですね、
具体的には修論の手直しとかを通して、
改善していく努力をするしかないよねえ。
というか、これからなんですよ、ぶっちゃけ。


勝手な言い草だけど、こんな感じ。


なんちゃって勢い付けて助走してみました、
これから飛ぶよ。だから、見てて!


2/4
このPC、横スクロールできたんや〜。
2年以上使ぉてても気付けへんかったw


どうでもええことが気になるこのごろ。


2/2
時間が壊れた。
もとい、時計が。


懐中電灯を使ってみる。


関係ないけど、時間と光だったらどちらが本質だろう。
理想的な鏡があったら同じだったりするだろうか。
(ここではまだ、特殊な方です。)


ちくたくちくたく。
という表現だと、でも、音なんだね。不思議だ。
AV統合に時間が関係するのは自然な気がしてきた。


「懐中電灯で腕時計が直った。」


ちょっとだけ…。いや、でもないか。


時計が時を刻むのを躊躇していて、
ちょっと面くらって、壊れたと思った。
落とした衝撃とかがいけなかったのかとか
いろいろ悪事を思い出して悔やんだ。


2秒進んで1秒進み、2秒進んで1秒進み、
時間が変則的になりはじめた。


次に、2秒ずつ進み出して、
飛ばされる時間が出てきはじめた。


で、気づいたら、ひくひくしはじめて、
時間が先に進まなくなった。


もうこの世も末かと思ったりは
もちろんしないけれど、変だなと。


調べたら、意外な新事実が発覚。
ソーラーパワーの二次電力不足の警告。
10年以上使ってる時計なのに、そんな
殊勝な機能があるとは思いもがけず。


だってさ、本気で、歯車が欠けちゃったり
したのかなって心配したよ。
アナクロもいいところかもしれないけれど、
同じ歯車で、2秒進みと1秒進みを
交互に繰り返すってむずかしくないのかな。
回転する速さを変えるってことだよね。


あーね、考えはじめると、
こんな場合じゃないって思いだしました。


とりあえず。
今、腕時計に懐中電灯を押し当てて
助けているところです(笑)。


ねえ、知ってた?
今年はうるう年だってことを。



1/31
今後の展望5分、って、別にこれからの全人生における身の振り方まで
今すぐ決めろってことじゃないわけだけど、いろいろ考えちゃうね。
5分で語りつくせるはずがない、くらい熱く厚く篤く広がれたらいいな〜。

Let go of your negative outlook on life.
Always maintain a positive attitude.

DUO3


1/26
困ったこまった。


部屋が寒いと布団にくるまって眠っちゃうし、
部屋が暖かいとやっぱり眠たくなっちゃうよ。


どちらでも負けるなんて、運がないや。


眠たくなりません、勝つまでは、
とかそんなスローガンは嫌だ。


というか、この頃、本当によく眠るし、
よく夢を見る。浅い眠りなのかな。


でも、ある種のフロー状態に入れれば、
ずっと寝なくても、ほとんど食べなくても、
平気で突っ走れる状態があり得る、
ということを知ってる。


そういうときは、ひたすらハイテンションで、
変に高揚してて、忘我の境地とでもいうか。
そうやって書くとあやしいだけだけど(爆)。
宗教で言うところの、悟りっていうのも
フローの一種なんだろうなと思った。
厳しい修行とか断食とか、強制的に
そういう状態を作り出してるんだろう。


で、なんでそんなこと書いてるかというと、
そういう、なんていうか、鍛冶場の馬鹿力的な
驚異的な能力でも発揮しないと終わらねー。
という危機的状況が刻々と迫っているわけ。


この、お尻に火がつかないとできない、
っていうのはどういうことなんだい。
近い将来と遠い未来の非対称性だとか、
双曲割引とかいろいろ言われるわけだけど。
Practicalな予測ができてないってことだよね。


逆に言えば、それでもどうにかなる、という
予測をしてる可能性もあって、自信過剰なのかも。
いつもどうにかなってきたから今まで生きて来れた、
という変な確信が悪さをしている可能性がある。
または、どうにかならなかった過去の経験は
都合よく忘れられて、どうにかなった経験ばかりを
強化して幸せに生きようとしてる可能性もある。


きっと、まだやらなくてもどうにかなる、
の方に賭け続けていて、チキンレースをして
そのスリルを味わっているのかもしれない。
ということをかなり昔から考えてた気がして、
確か中学か高校くらいの、特に試験直前とかに
いつも考えていたことのように思い出すから、
procrastinationの悪い癖は全然直せていない。
って、つまり、成長していないということか。


という感じで、metacognitionを次々立ち上げて、
現実に接地せずにふわふわしてるわけ。


Earthingが必要だ〜。遅いよっ。急げ!


1/21
ここに駄文を書くくらいなら、一文字でもいいからさっさと修論書けよ!とあらゆる方向から(自分の内側からも、見えない外側からも)ツッコミが入っているのは重々承知。


ということをあらかじめ断っておけばすこしは許されるだろう、と甘い考えを持っているのも許しがたいけど。一番妥当なそれらしい言い訳は、今は休憩時間なのだということにしておくこと。にしても長すぎる休憩だな。


もうだいぶ前、というほどでもなく、たぶん一昨日時分に、しゃっくりが止まらなくなった。大体、この世にしゃっくりという現象があることすら忘れてしまうくらい久し振りで、こういうときどうしたらいいのか分からなくなった。


とっさに思い出したのは、誰かに後ろから急に脅かしてもらう。でも、周りに誰もいないし、いても恥ずかしくて頼みにくい。別の案は、コップに水を入れてお箸か何かをばってんの形にしてコップの縁に当てて、自分から遠い縁から水を飲む、だったっけ、いや、4か所から順番に飲む、だっけ、まあとにかく手の凝った方法。でもつまり、零さずに飲むということはどういうことか。


しばらく息ができなくて、しゃっくりとはこんなに息苦しいものだったかと思案しているうちに、焦っているうちはきっと治らないということに気付いた。先ほどから、自分では冷静に思考しているつもりで対処法を検討し、息の仕方を必死で思い出そうとしていたけれど、それはどこかおかしい。普段起きているときには意識しなかったものを思い出せるものだろうか。


陸上で息継ぎができなくて苦しいという状態はなかなか珍しい。泳いでいる時ならもっと長い間息を止めていても平気なはずなのに、しゃっくりが起こっているあんな短い時間、思うように息ができないだけで。もうだめだと思いつめるほど重篤な危機ではないことを知っているからこその、観念的な苦しさかもしれない。楽しめる余裕がある苦しさ。


意識して口でゆっくり呼吸をしたら、すぐに収まった。つまらぬ。驚いて声を出したり、慎重に水と空気を吸ったり、口で息をするリズムを強制的に変えてやれば何でもいいのかもしれない。でもたぶん、大抵はパニックになっていて自分ではどうしようもないことが多いから、道具立てが必要になるのだろう。意識して息ができるなら、それで十分対処できる気がする。ポイントは、鼻ではなく口で息をすることにあると見た。呼気量の問題だろうか。


次にしゃっくりが起こるのはいつか。ここであまり分析してしまって、二度としゃっくりが起こらなくなったら、せっかくのこの仮説を検証できないのでこのくらいにしておく。もしくは、しゃっくりを起こす方法を新たに考えねばなるまい。もちろん、しゃっくりの原理などを検索して調べたりは絶対にしない。調べて分かることに慣れると、何も考えなくなる。


しゃっくりの時間を懐かしむのも変な話だが、普段意識できないことを露にしてくれるという意味では、愉快な変性状態。ただし、望んでなるものでもなかろう。だって、やっぱり息苦しいもん。


1/19
まさに捨てられようとしてる雑誌の束があって、
えっそんな、これ全部捨てちゃうなんて、
と思ったら居たたまれなくなって、
一度は全部持って帰ろうかとも思った。


いてもたってもいられない、と、いたたまれない
って意味同じだっけ、違うっけ?


あと、まさに〜と書いてたら、
そんな漢字一文字があったけどなんだっけ、
と関係ないことを思い出して。
再読文字の「将」は、まさに〜んとす
と読むのだとか。


さらにまったくもって関係ないけど、
僕は高校のときに、「古文・漢文委員」
というのをやっていた。
要するにその先生が好きだったわけだけど、
とか書くと、女性の先生を想像するかもだけど、
あいにくうちは男子校で女性の先生はいなくて。
ともかく、国語は大の苦手だったんだけど、
古文と漢文はかなり好きだったらしい。
理数系科目よりも断然成績が良かったくらい。


そういえば、今年は源氏物語が書かれて
1000年の記念すべき年なんだそうで。
お正月の新聞にいろいろ書かれてたけど。
これも高校のときに全部読んだ、
とか書くともちろん大げさなわけだけど、
当然だけどマンガで読破しただけ。
でも意外とよく描かれてるんではまった。


あさきゆめみし」というマンガだけど、
周りでは意外と評判が悪かった。
なぜかというと、登場人物が顔似てる人
ばっか出てきて区別できない、とか
言ってる人がけっこういて信じられん。
だってそんなの当たり前じゃん。
藤壺は桐壷の更衣の生き写しという設定だし、
紫の上は藤壺の姪だし、似てるでしょって。
似てるから源氏が心ひかれるわけだし。
まあ、少女マンガを読みなれてないと
女性の顔がみんな似て見えるっていうのは
分からなくもないけど、セリフとか見れば
誰が誰か分かるじゃん、とかね。


で、話を戻すと、まさに〜んとす
と再読する文字はもうひとつあって、且も。
って、そこに戻すんかい、とか思った。
自分で作る古文の単語プリントは
途中からちゃんと調べなくなって
それでいつかなくしてしまった。
永久保存版と書かれていたのに。


というわけで、いくらなんでも
数十冊も雑誌を持って帰るわけにはいかん、
と思いとどまって、いくつか方法を検討した。
その辺に置いておいて、ときどき読む。
でもそれだと、整理のために処分、
という当初の目的と真っ向から反する。
かといって泣く泣くさよならする、
というにも後ろ髪を引かれる。
せっかく気づいたんだから、
拾ってあげるべきなんじゃないか。


とかいちいち考えなかったけど、
読みたい記事がいっぱいあるから
時間があるときにぱらぱら見たい。
図書館とか行けば読めないこともない
かもしれないけど、今ここで拾わねば
二度と読まない気がするのも確か。


カッターを借りてじょきじょきした。
そもそも今の状況を冷静に鑑みるに、
いやはやそんなことをやってる場合なのか?
という痛烈なメタ認知はこの際、度外視だ。
むしろ、こんなどうでもいい日記を書いてる
その状況こそいったいどういう心根なのか、
というさらに痛いメタ認知は忘れよう。(笑)


1/17
シンポジウムを聴きに行った。


うおっ、なんなんだこの熱気は。


なんで学部1年でこんな問題意識を持ててるの?


若いっていいなあ、とかそんな
ジジくさいコメントしても仕方ないんだけどさ。


信じがたいのだけど、ちゃんと問題提起して、
このままじゃダメだと声高に主張して、
行動を起こそうとしている。というか、起こしてる。


彼らはやってる。なんてこった。


なんかね、大学なんてこんなもんでしょ、
という固定観念を取っ払おうとする姿勢がよい。


気が付けばかれこれ6年近くこの大学にいて、
いろいろ不満はあった気がするけど、
ぐちっても仕方ないし、どうにもならないし、
大学になんてもう期待しない!というような
諦めムードに甘んじていたんだよね。


そんなもんだ、と思った瞬間から
批評精神が失われて、問題が隠蔽されて、
制度に合わせて飼いならされていく。


従順に、言われたことだけやってたらいいや、
みたいな安易な道を進んでしまった気がする。
周りは知らないけど、自分はそうだった。


言われたことができます、というだけでは
ダメだよね、やっぱ。これの怖いところは、
言われなきゃできない体質というものが
身にしみついちゃって、取れなくなること。


というように分析してる風を装って
その実、自分のダメさ加減を
ぐちってても仕方ないわけで、
というメタな視点を導入して。


うつむいてたら前見えないじゃん。


やらなきゃだめなわけ。
何がってそれは自分で考える。
それは自分が一番よく知ってる。


1/3
川上弘美が選んだベスト2とベスト4を
しみじみ読み返してみた。


A 傷ついたほうが偉いと思っている人は
  あっちへ行って下さい


B ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。
  ハロー カップヌードルの海老たち。


B 温泉の効能書きは動物が
  がんばって書いた言葉のようだ


A 3人で傘もささずに歩いてる
  いつかばらけることを知ってる


B さようなら。人が通るとピンポンって
  鳴りだすようなとこはもう嫌


B 海の生き物って考えてることが
  わかんないのが多い、蛸ほか


川上弘美『卵一個ぶんのお祝い。』
「どうして逃げるのー。」より
Aは加藤千恵、Bは穂村弘の歌


どうということはないんだけど。
このおかしみとちょっぴりの悲哀は
どこから来るんだろう??