最近はやってるのかな

また引っ越しのお手伝いをしてきたよー。
そういう季節なんだろう。年度末も近いからね。
今回は何度も何度も荷物運んだよ。疲れたなり。
引っ越しの後はカレーだった。これもはやり?


ちょっと遅いけど、『生物と無生物のあいだ』を読んだ。
周りがみんな読んでて、よく売れてるみたいだから逆に
読むものかと意地を張ってたけど、そんな片意地よりも
勧めてくれるからにはきっと何かあると信じた方が賢い。


まず、野口英世のイメージががらりと変わった気がする。
良きにつけ悪しきにつけ、血の通った人間らしくなった。
見えないものを見ようとしてたという姿勢は、結果的に
結論を急ぎ過ぎて誤ったのだとしても、creative error
だったのなら、それでよかったんじゃないか。


事実も重要だけど、どういうプロセスでそれが
見つかった/見つからなかったのか、がおもしろい。
いままで、科学史みたいなのは敬遠して来たんだけど、
生身の人間が真理に近づこうと必死で研究に没頭して、
一瞬のひらめきとかセレンディピティとかではなく
努力の積み重ねで成果を上げることの重要さとか。
パスカルが言うように、準備された心を持つこと。
そのためには、幸運を待つのではなく、作り出す。


詩的な表現が絶妙に配されてるのも味がよい。
科学の文章で趣を凝らそうとして陥りがちなのは、
ともすれば、くだらないだじゃれとか言葉遊びに
なりがち(特に数学者に多い気がするのはなぜ?)
なんだけど、それらとはまったく毛色がちがう。
新書だけど、エッセイと呼んだ方が近い気がする。
特にエピローグが一番ぐっときた。むしろ、
これを書きたいがためにこの本を書いたんだな
と思えるくらい、熱っぽい想いが込められてた。


本の帯って大抵、おおげさに書かれてるけど、
いろんな人が寄せてるたくさんの推薦コメントは
誇張でなくて素直な感想に近いんだろうと思った。
頼まれたからとか、無理して何かほめようとか、
そういうことがされなくても、これ結構いいよ
って自然に勧められる本って、ありがたいもの。


最後の方で、ケヤキの木の枝分かれの仕方が
似ているようで、一本一本それぞれちがう、
そこから、その一本のケヤキにとっての一回性
という話が出てくる。それは、メタファーとして
系統樹になぞらえれば、進化の道筋をあらわし、
即ち、時間のたゆまぬ流れそのものを指し示す。
「今ここ」に一回だけあり得た生を享受して、
わたしに固有な妙なる軌跡を描いて行く。


砂の城としてのわたし。めまぐるしく入れ替わる
ミクロなわたしの構成要素たちが平衡して
安定したマクロなわたしが同一性を保つ。
わたしの秩序変数は何だろう。そこで、意識?