カレーとトコジロー翁

2日連続でカレーを食べた。昨日はお外、今日はお家。
インド系のカレー、というのもお店の名前がインドの
地名だと思うからそう勝手に思っただけなんだけど、
サグパニールというほうれん草とチーズが入ったのと
シュリンプコルマという小エビとトマトクリームの。
少しずつ二種類を味わえるというのはぜいたくだ。
熱いナンが大きすぎてすでにお皿からはみ出している。
あまり甘くないチャイを飲むとすっきりして、合う。
でも底の方にシロップが溜まってて、最後は強甘っ、
デザート代わりということでよかったことにしよう。


今日はうって変わって、和風のカレーだった。
ご飯が炊き込みご飯みたいになっていて、
つまり醤油ベースで具なしの炊き込みご飯風。
ルーの方に具が入ってて、れんこんやゴボウ、
根菜類がいろいろ、こっちも新しい感じ。
それらが組み合わさると絶妙なハーモニー。
姉がお料理に凝っていると食べたことのない
ジャンルの料理にお目にかかれてしあわせ。
苦手そうなものでも食べないと怒るので恐い。
特にアジア系だと強烈な香草とかスパイスとか
涙が出そうな味の場合もあるから量に気をつける。


今カレーで思い出したのは、小学生低学年くらい
のときに、近所のスーパー主催だったと思うけれど
単発ものの料理教室があって、それに参加したこと。
自分で選んだわけじゃないから母が申し込んだはず。
そのとき習った料理はツナカレー。経緯とかどうして
まさにその回だったのかなどは今となっては謎だ。
缶詰のツナを使うわけだけど、それを取り出すときに
ふたを少しだけ開けたらまず汁を捨てて汁気を切って、
それからふたを全部外して取り出すのがコツらしい。
手順はこれしか覚えていないけれど、逆に言えば、
このことだけをそのとき憶えたことは確信できる。
ツナでなくても、コーンとかの缶詰でも使えるし、
さらに言えば、豆腐の水切りにも応用できる、
などとそのとき思ったはずがないので、やっぱり
なんでそこだけ憶えることになったのか不思議。


それより前に、もしかしたらまだ幼稚園児の頃に、
これも一度だけ母の知り合いの家に預けられて、
お昼をごちそうになって、それが衝撃的だった。
スパゲッティーの麺の上にカレーがかかっていて、
それまでカレーはご飯の上にかかるものであると
固く信じていたからカルチャーショックを受けた。
その日の午後まで軽くショックを引きずりながら
テレビでパタリロを見ていたらお迎えが来た。
ちょうど、エンディングのクックロビン音頭で。


ついでに思い出したからどうでもいいことを書くと、
井上ひさしの『吉里吉里人』という小説がある。
東北のどこかにある小さな村が突然日本から独立
宣言して、吉里吉里国を名乗り出して騒動を起こす。
この作品にトコジロー小山内という老人が登場し、
ちょい役の端役なのになぜ覚えているかというと、
彼は息子とカレーの食べ方で大げんかをする。
カレーをライスとぐちゃぐちゃにまぜて食べるか、
それぞれ別々に食べて口の中で合わさるのがいいか。
いわく、カレーとライスが渾然一体となって
混ざったのをスプーンですくって食べるのがよい。
いや、カレーとご飯を任意の量ずつ口に含んで
食べれば、無限通りの味を作り出せる、云々。


どうしてこんなくだらなさそうなエピソードを
憶えてしまったかというと、この老人の名前を
トコロジー小山内だと思いこんでしまっていて、
変な名前でインパクトがあると感じていて、
10年後くらいに、あれはトコジロー小山内の
勘違いだったのかと気付いて、やっと合点した。
方言としては、題名はちりちりずんと正しく
読めていたんだけれど。そもそもこの作品、
女性スナイパーがベルゴセブンティーンとか
登場人物の名前がいちいちふざけている。


見た目の美意識などはもちろん大切だけれど、
カレーで親子げんかをするのもどうかと思う。
ちなみにそのとき思ったし今も続けているのは、
ご飯を片方に寄せて山を盛り上げて、空いた方の
脇にカレーを流し込むのはあんまり好きじゃない。
それよりは、ご飯を平らにのばすように広げて
その上にまんべんなくルーをかけるのが好き。
でも、かき混ぜるのは勘弁して欲しいと思う。
重要ではないことなのに拘りって何なんだろう。


とりあえず、明日はカレーを食べないと思う。
ツナカレーはずいぶん久しく作っていない。