木洩れ日は地図に載ってない

鄙びた場所にあるらしいと地図を見ながらやや困惑した。
歩くとちょっと距離があり、しかもルートは複数あって、
右左折ポイントの順を懇切丁寧に解説したものを見ても、
こんなにたくさんランドマークを憶えられそうにない。
それに、構内の地図がなかなか見つからなくて参った。
やっと探し当てたものにも建物番号があからさまには
記されておらず、小さな番号がたぶんそうなんだろう、
と自信はないけど目指すべき目的地を何度も確認する。
たぶんデートの予習だってこんなに入念にはやらない。
今日に限って行き当たりばったりなんてあり得ない。
迷ったり、遅れるわけにはいかない大切な日だから、
前日から自分でもよくわからない意気込みを発揮する。


実際に最寄り駅を降りたら駅前にでかでかとした地図が
高いところに掲げられているのに、見なくてもわかる
と思って目を上げずにすぐ歩き出せるくらいだった。
懸念したようなことは何も起こらず、だいたいにおいて
若い人の流れが明確なのでこれに背かずに進んでいけば、
そこに連れて行ってもらえると根拠もなく安心しながら
これなら場所の確認を手間取るまでもなかったけれど、
道順を知っていることは、その場所にしかない雰囲気を
知っていることとは違って、行ってみるまでわからない。


玉川上水沿いには樹が多くて緑のアーケードが高い。
梢の透き間から見える清んだ空。かなり急な崖の下は
ほとんど見えないけれどたぶん水が流れているはずで、
せせらぎとそれを包み込むようにどこまでものびる林、
未舗装でかすかに落ち葉のつもった土の小径の感触、
道の真ん中でも木の幹が優先されていて迂回して進む。
散歩をしに来たのではないのに、ここを歩けただけでも
今日は来た甲斐があったと感じさせるくらい心地よい。
この先にあるならまちがいなくいい所にちがいない、
と思わせるような場所にあるのが心底うらやましい。


シンプルな門をくぐると、頭の中にある建物の配置と
すぐにマッチングして行くべき建物が目に飛び込む。
同じエレベータの中で大きな時間割表の紙を広げて
次はどこに行こうかと楽しく迷っている人たちがいて
この光景は今の季節ならどこでも大して変わらない。
教えてもらった部屋に直行したらだいぶ席が埋まり、
みなそれぞれここに来た理由は違うかもしれないけど、
まさにここにいるのだから、それだけで十分だろう。


もちろんいつもここから、いきなり猫の話で始まった。
お会いするのは初めてなのに、声には聞き覚えがあり、
ときどきほんのちょっと怒ったような調子になるのは、
怒っているわけではなく、なにか大事なことを言おう
としている前触れかもしれないから、そういうときは
そういうときこそ、そっと耳をそばだててみるといい。
大切なことはメモを取れないからもどかしいけれど、
ノートに書き取った言葉よりもその場の記憶というか、
突き詰めれば、そこにいられたという事実があれば、
心の中でまたいつでも尋ねることのできる場所になる。
木洩れ日の径を歩けばたどり着ける懐かしい場所へ。