鏡のなかの泥棒

春樹のねじまき鳥クロニクルという作品の第一部は
泥棒かささぎ編と言うのだけれど、ついさっきになって
どちらかと言えば、ロッシーニのオペラ、泥棒かささぎ
の方が175年くらい時代的にも先行しているわけだし、
そちらこそ先に思い出されるべきなんじゃなかったか、
と思ったら、主人公がパスタを茹でながら聞いているのが
その序曲だった。もちろん、たぶん麺はアルデンテ。


無知を返上しようと、聴いてみた。


ひさしぶりに5月に『1Q84』という長編を出すらしい


それはともかく、ねじまき鳥クロニクル
井戸の底で考える話、という印象が残っていて、
第三部はまだ読んでいないのを今、思い出した。
いつか読むかも知れないし、読まないかも知れない。


大学に行く電車でスーツを着た隣の後輩に会った。
しゃべるのは2度目くらいで無駄にやけに緊張する。
就活で忙しいようで、思うように行ってないと言う。
思うようには行かないから人生おもしろいんじゃない、
といい加減なアドバイスのひとつでもすればよかった。
でもそういうセリフは誰かに言われるものではなく
あるとき自分で気付けたら分かることなんだろう。


ところで、なぜカササギは泥棒という汚名を
着せられているのかと不審に思っていたところ、
まったくの濡れ衣ではないのかもしれないって。
むしろ、盗みができてかつ、誰が盗んだかまで
見抜けるくらいにスマートだ、という意味では
褒めてるんだか貶してるんだかという感じ。

Magpies occasionally cache food and may raid each others'
caches, the way their close relatives, the jays, do.
For scrub jays, there is evidence that "it takes a thief to know
a thief," suggesting that these birds extrapolate from their
own pilfering experiences to the intentions of others.

The Thief in the Mirror


えさがほかのやつに盗まれたら憶えておく、ために
他者の意図を推測できるようになったのかもしれない、
という仮説は心情的には理解しやすいのだけれど、
どこまで擬人化して考えてよいものやら困るところ。
泥棒という概念自体が人間寄りな気がしてならないし、
もし人間以外が進化心理学を考えたらどうなるんだろう。
でも、人を納得させられる説明でないと僕らには
用がないものになってしまうから、仕方ないかな。


悪気があって、泥棒って呼んでるわけじゃないからね、
かささぎさん。君はとても頭がいい。