ずっと目に残っている感じと午後ティー

果汁50%の午後の紅茶というのを奮発してコンビニで買って飲んでみた。
半分はフルーツだとinstructionを与えられてるからかもしれないけれど、
とってもすっきりしたお味。でも言われないと紅茶だと気づかないかも。
ほのかに紅茶の香りがする。思ったより甘くない。いいかも。


群像」2009年6月号に載ってる柴崎友香の「ドリーマーズ」を読んだ。
いつもながら大阪弁での会話のテンポが自然でかなり好きな感じ。
場面の切り替えもあいかわらず上手い。視覚中心な映画みたいな描写は
どうやって思いつくんだろう。やっぱり写真をやってた人だからかな。
タイトルからも夢が関係してくるんだろうと読む前に想像していたら、
本当に軽いのから重そうなのまでいろいろ変な夢のシーンが出てきて、
主人公の見る夢が一番切実なんだけれど、どうして夢にしたのかなあ。
そう言えば、「真夜中」No.5 2009Early Summer号に載っている
山崎ナオコーラの「耳が伸びて」の話にすこし似てる気がする
と勝手に結びつけてみた。
ただし、見た目(読んだ目?)が同じわけではなく全然ちがう。


その「真夜中」というちょっと変わった名前の季刊の雑誌に
保坂和志が「遠い触覚第5回『インランド・エンパイア』へ(4)」
という連載をしているのだけれど、この連載を知ったのはつい最近で
第5回なのに(4)と言うから、第1回だけ違うタイトルだったのだろうか
などと適当なことを考えてみたり、読んでなかったから分からない。
すごく変な感想だけれど、保坂さんが映画を観ていて、しかも
映画について熱く語っているというのがどうもしっくり来ない。
ご自身が映画に出演されていたこともあるという事実があるのに。
柴崎さんの作品を評するのにジャームッシュ以降という表現をしてて、
そのときも、保坂さんが映画を観ているのが不思議だった。
それは、自分がその映画を観たことがないことのせいではある。
真夜中での連載もデイヴィッド・リンチについて語っていて、
やっぱり観たことのない監督だったから、何だか意外だった。
でも、「新潮」に「カフカ『城』ノート」を連載するのは
とても納得できる感じがして、保坂さんが小説以外にも
きちんと取り組んでいることを嫌がるのは変だと思った。
カフカに向かう姿勢と映画を観て語る姿勢があるのなら
どちらも納得できる感じがしてもいいはずなんだから。


そうそう、WEB文芸RENZABURO(レンザブロー)という
集英社の文芸サイトで柴崎さんが「小さな覗き窓」という
フォトエッセイを連載していて、最近気づいたばかりで、
最初の方のバックナンバーがもう読めなくなっていて
さびしい気持ちになった。マイナーなページすぎて
誰も読んでないのかもしれないと不安になるくらいで、
どうして誰も教えてくれなかったのと言いたくなった。
毎週金曜日に更新される(つまり週刊誌の頻度じゃないか)
というのでこれからは読み落とさないように気をつける。

レンザブロー(デジタル読み物サイト:小説やエッセイ)
http://renzaburo.jp/

マスコットのかわうそのレンザブローもかわいい。
愉快な仲間たちがみんなちょんまげ姿の動物で謎。
柴田錬三郎に因むというから、歴史小説の歴史性
をどこかで意識したのかもしれないけれど、憶測。
レンザブローだけはシルクハットをかぶっている


意外と有名な作家が書いていて、久しぶりに騙された
と思って、金原ひとみの「フリウリ」を読んだら
文体が激変していて、というよりもテーマの選び方が
以前では考えられないくらいまともになったというか
大人になったというか、生活の変化が影響したのかな。
ご結婚されて子供を産んだそうで、過激すぎる内容では
書き続けられなくなったのか、実際自分の今かかえる
直近の問題、子育てについてまじめに考えざるを
得なくなったというような感じがして好印象に。
そういえば綿矢りさは元気にしているんだろうか。
昔は対照的なお二人だったけれど、金原さんが
変わって来たようだから、綿矢さんもさぞかし
変化したかもしれない。寡作でわからないだけで。


柴崎さんのエッセイはエッセイなのに小説を読んでる
ような気がしてきて、というより逆に、小説を読んでても
これは実際にどこかで行われてる会話や光景であって
フィクションでも全く違和感がないような作風で、
保坂さんの小説の流れとよく似ていてどちらも好き。
でも、柴崎さんの写真つきのエッセイとなると、
それでも写真が小説の一部のような感じがしていて
肩肘張ってジャンルとかにとらわれない自由さというか、
言い換えれば作り物っぽくなさがいいのかもしれない。