ロゲルギストはその長続きの秘訣をかく語りき

昔、父の蔵書の中に古ぼけた本が一冊あって、身近な問題について物理の知識を総動員して学者たちがわいわい議論しているおもしろい本があった。ロゲルギストという変わった集団筆名で書かれていて、それが妙に印象深かった。
今にして思えばあれは、「新 物理の散歩道 第1集」だったのだと思う。つい最近、ちくま学芸文庫から復刊されたものを見たら見覚えのある絵が載っていて、ああこれだったと思い出して非常に懐かしかった。



目次:
ロゲルギストの月例会
量の感覚的表現
ミルクの糸
影法師のコブ
ミリメートルの世界
道順の教え方
被服機構学序説
魚にまなぶ
自然は対称性を好む?
シグナルと雑音
りこうな乗客
骨と皮
入院また楽しからずや
紙風船の謎を解く
ねじれた結晶を推理する

(新しい文庫版には、序文と江沢先生の解説付き)


当時は気にもとめなかったが、寺田寅彦中谷宇吉郎藤原咲平らの流れをくむ有名な物理学者たちが書いていた本で、会話調で書かれたエッセイ集なのだが、日常的な親しみやすい素朴な疑問について実際に集まって雑談でありながらも真剣に議論した内容を、1959年から24年間に渡って雑誌「自然」に連載したものをまとめた全十冊からなる作品なのだと、改めて読み直して知った。その会合の開き方が実にユニークなので、それぞれの巻の巻頭に置かれた「はじめに」で各ロゲルギスト諸氏の面々が語っているその秘密をまとめてみた。(ほとんど絶版なので、大学の図書館に行って調べてきた。第四巻のみ行方不明で見つからなかったのが悔しい。)


ロゲルギストT氏

このグループのそもそもの発端は一九五一年夏頃と思う。

物理屋の中でも前々から応用、特に測定、制御に特別の興味を持っていた数人が集まって、サイバネティックス研究会をやろうということになった。
研究会の目的は、いささか大風呂敷といわれるかもしれない

二、三年間、熱心に会合をつづけるうちに、ずいぶんいろいろと興味深い見解が発表され、それらは間接にあちこちで役立っていると思われるが、我々が目標としていた、具体的なものにまとめ上げるまでには至らなかった。
そうこうするうちに、会もややだれ気味となり、再建の方策もいろいろ試みられたがあまりうまくいかなかった。しかし、何とか会を存続させたいというのが、当時まで残ったメンバーの願望だったので、いっそのこと、大それた目標などはやめてしまって、夕食を共にしながら雑談をする会にしたらということになった。

最初のうちは、あちこちの食べもの店を会場にしていたが、経済的理由と、夜遅くまで歓談したいという欲求とから、メンバーの家をまわりもちするようになった。以来今日まで毎月欠かすことなく、病気、外遊の人を除いて全員皆出席という稀に見る成績で続いている。
壮大な理論体系をつくるという最初の目論見はつぶれたにしてもわれわれの会合の成果を何かの形で発表したいという希望は失わなかった。会の内容は雑談とはいえ何か一本のすじが通っているという自覚を皆持っていた。

そうして一九五七年四月の会合で、いろいろと検討した結果きまったのが「ロゲルギーク」(Logergik)という言葉である。

さて、会の名前がきまったが、会の記事をどうして発表しようかということになった。しかし、急がず慎重にかまえていたところ、はからずも雑誌『自然』にのせてもらうことになり、一九五九年二月、「ロゲルギスト」世に名乗り出たわけである。

以上がこの本ができたいきさつである。われわれのまわりにある種々雑多な事柄をとらえて、これを物理学者の見方で掘り下げてみたというのが大体の線であろう。原子力やエレクトニックスなどで最近目ざましい発展をしている近代物理学のハイウェイの眼まぐるしさを避けて、わきの静かな散歩道に読者を案内しようというのが、われわれのねらいである。

この本を読まれて、「ロゲルギークとは一体どんなものかを理解されることはあまり期待していないが、とにかく、われわれの会のふんいきを伝えられれば幸である。

(「物理の散歩道」ロゲルギスト著、岩波書店、1963年)


ロゲルギストK氏

扉にその名を並べているこの七人は、毎月一回まわりもちで誰かの家に集まって放談するのがこの十年余りの習わしである。その月例会にでる種々雑多な話題のなかに、何か一本すじが通っているという自覚を持っていて、七年前にこれに「ロゲルギーク」(Logergik)という名前をつけた。

「ロゲルギスト」の匿名で『自然』に連載している小篇の種は、おおかたこの月例会の話題になったものである。

(「続物理の散歩道」ロゲルギスト著、岩波書店、1964年)


ロゲルギストI氏

「ロゲルギスト」と名乗る現在の執筆者のグループメンバーは扉の裏にその名を連ねた順にC・I・I2・K・K2・O・Tの筆名をもつ七人で、物理学を専攻するこの同人は毎月一回まわりもちで、誰かの家に集まって雑談をするのが習わしであり、そのメンバーが毎月交代で書く随筆風の小篇の内容はおおかたこの月例会にでた話題に基づいている。

近頃、この会は毎月『自然』の原稿締切期日間近に開かれることが多く、寄稿当番の誰かは原稿の下書を携えて来てそれを読み上げるとか、書こうとするテーマとねたを話に持ち出すとかする。それが中心になって話がそれからそれへと発展する、また展開させるというのがこの会のいわば楽しみな仕事の一つになっている。いずれにせよ、どの小篇もわれわれグループとしての考え方であり、物の見方感じ方を示すものであるというつもりでいるが、それでいて各小篇には執筆者のさまざまな特色や個性が極めて鮮明に現れていることは読者もすぐにお気付きになることと思うし、しかしまた一方では、取り上げる題材や考え方にこのグループ特有の何か一貫したもののあることをわれわれは主張し、読者にもそうお感じになっていただけると思う。グループの名前も実はそのサムシングを表すものだと考えていただきたい。

(「第三 物理の散歩道」ロゲルギスト著、岩波書店、1966年)


ロゲルギストO氏

ふりかえってみて、われわれロゲルギストの月例会は一九五七年四月にさかのぼる。例会での、ある時は真剣な、ある時は気楽な議論の一部は、その後間もなく一九五九年二月から毎月、雑誌『自然』(中央公論社発行)の誌上に連載されることになった。

めまぐるしい近代物理学のハイウェイを避けて、わきの静かな散歩道に案内しよう、というわれわれのねらいをこめたこの『物理の散歩道』から、それをご覧になる方々に改めてわれわれグループ特有サムシングを感じとって頂ければ幸いである。

(「第五 物理の散歩道」ロゲルギスト著、岩波書店、1972年)



ロゲルギストK2氏

はじまってから五年ほどたったときには、私たちの会は、もはや体系化にはこだわらず、気のあった同志夕食をともにして歓談と議論とに夜を更かす会合に変わっていた。ただ、雑談のなかにも底流として当初の理想への志向があったことは事実で、これはいまでも変わらない。

ロゲルギストは毎月一回、まわりもちでメンバーの誰かの家に集まって、若干のお酒夫人の手料理放談する。

酒間の話題の変転の様子は、本書巻頭の「ロゲルギストの月例会」の記録からご察知いただけるかと思う。

月例会はいつもこんな調子で、散会は夜中の十二時近い。この会には「国内にいて、からだが動くかぎり、欠席を許さない」のが、私たち同人のあいだのただ一つの約束である。

この書物が生まれるに当たって、私は、会場当番のたびにご迷惑をおかけする夫人方心からのお礼を申し上げたい。ロゲルギストの活動はまさに会場の女主人ホスピタリティーによって支えられているのである。

(「新 物理の散歩道 第1集」中央公論社, 1974)


ロゲルギストC氏

ロゲルギスト・グループは、測定や制御に興味をもつ数人の物理学者が月に一度の例会を開いていた一九五一年の夏ごろに端を発している。当時の会場は学習院大学理学部で、話題はその当時流行していた「サイバネティックス」を中心として、メンバーの思いつき体験などを語り合う会であった。そのうちに話題を体系化するため、当番をきめて、その人が考えてきたことを黒板の前に立って発表するという形式をとるようになった。

しかし、この形式は長つづきしなかった。というのは、このメンバーたちは議論することは大好きだが、黙って人の話を聞くことは不得意な連中ばかりだったからである。黒板に図やグラフを書いて振り返ると、聴衆の半数以上がこっくりこっくり居眠りしているという有様だった。

これではいけないというので、夕食を共にしながら、いろいろ語り合う形式にしてから、よくしゃべりよく食べることの好きなメンバーの性格にあう会合になった。しかし、会場を方々の料理屋にえらんでいたあいだは、会費が高かったことや、夜の時間が限られたことなどで、十分落ち着いた雰囲気をかもし出すまでには至らなかった

そこで一九五五年ころから、会場を筆者の自宅に移して、ささやかな会食を共にしながら、夜の更けるまで語り合うようになり、小一年ほどつづいたであろうか。その後は会場を各メンバーの家庭まわりもちにし、月に一回ずつ奥様方の腕によりをかけたご馳走とっときのお酒を楽しみながら、夜半まで語り明かす楽しい会となって、今日までその習慣がつづいている。

このエッセイに対する原稿料の半分は、会場になったホステスの奥様方に寄附され、会の経済を安定化するのに役立っていることは、この会が長つづきしていることの一つの原因になっている。

この会である思いつきを話しても、それがそのまま素直に受け入れられることは少なく、議論の俎上にのせられ、さんざん叩かれるのがふつうである。しかし、いくら議論が厳しくても、なごやかな雰囲気は変わらず、友情に傷がつかないのがわれわれメンバーの特技でもあり、また誇りである。

(「新 物理の散歩道 第2集」中央公論社, 1975)



ロゲルギストT氏

根本では意見が一致するが、具体策となると議論百出、だから行動に移すまでに至らない。七人七色、それぞれの持ち味については内容を読んでいただくのが最善と思うが、とにかくみな個性的で、絶大な自信の持ち主であり、学問的な話になると、まったく仮借なく思ったことを言う。それでいて、和気あいあいたる雰囲気を失わない。それと、明治生まれから震災前後までの年齢の差が全然意識に上らないのも、われわれの会の特徴である。

誰もが経験し、「おや」と思うようなことを納得のいくまで解明しようというのが、ロゲルギストたちの生きがいなのである

(「新 物理の散歩道 第3集」中央公論社, 1978)


ロゲルギストK氏

この機会に私は、例会のたびにお世話をいただく奥様方に心からお礼を申し上げたい。もうかれこれ二十年の年輪を重ねる例会なのだが、食欲の一向に落ちない同人たちを満足させたあとは、やれやれと肩をさすっていらっしゃる方もあるのではなかろうか。

(「新 物理の散歩道 第4集」中央公論社, 1978)


ロゲルギストI氏

各人の自宅まわり持ちで月例会を開き、夜半まで語り明かすという現在に似た形をとるようになって、それ以来、在外と病気のときの他、全員無欠席で、毎月一度のこの無上な楽しいひとときを持つことを今日まで続けている。

各小篇には執筆者なりの好み発想の仕方、題材文章の持味などがおのずと鮮明にあらわれ、すぐ誰とわかるようになった。読者もお気づきになっていただけると思う。それでいて、やはりグループとしての一貫した考え方があることを主張したのである。

(「新 物理の散歩道 第5集」中央公論社, 1983)


(ところどころフォントサイズを変えて、勝手に強調してしまったことをお詫びします。)


こんな楽しそうな会合が毎月、二十数年間も全員無欠席で開かれ続けたというのものすごいことだ。よっぽどやみつきになるほど魅力的な集まりだったに違いない。今とは時代が違うという言い訳はできまい。それぞれの専門は違えど、グループで何か一貫したものを持っていると確信できていたのが強みだったのだろう。江沢洋先生(文庫版の解説者)や田崎さんも、実はロゲルギストの直系なんだと知って大いに納得した。形は違えど、思想というかものの考え方などはたしかに伝統が正しく受け継がれているような気がする。


「新 物理の散歩道 第2集」は来月、ちくま学芸文庫から復刊される。これを楽しみにせずして何を待とうか。