ジョナゴールド、ふじ、王林、北斗、ふじ

保坂さんが久方ぶりに新しい小説を雑誌『群像』に
連載し始めた、と知ったときにはすでにその号は
いろんな本屋さんを探したけれどもう置いてなくて、
すこし落胆しかけた後に、バックナンバーを所蔵する
図書館に行けば読めるじゃないかと思い当たった。


エッセイなどはいくつかの場所で続いていたけれど、
そうではなく小説のために筆を取れるようになった、
というのは、ではなぜしばらく書けなかったのかを
考えてみれば、つまりそういうことで、だから、
このことを素直に喜んでよいのかはよくわからない。
小説家という以前にひとりの人間として生きる、
ということが必ずしも書くことだけなのではない。


『真夜中』Early Winter号にそれまでのことが
描写されていて、美大で直接お話を聞いたときに
淡々と話されていたのよりも、もちろんその後に
否応がなく予想されたイベントに向き合ったことを
冷静に記述しようとしながら、垣間見える心情は
激しく揺さぶられているようで穏やかならず、
それは思い出しながら書いているというよりも、
もう一度体験しているようにしか見えなかった。


そういうのの隣に、懐かしいカヒミ・カリィ
声が小さくて囁き声しか出せないのになぜか
自分が歌手になったという自伝風があったり、
山崎ナオコーラが友達と富士山に登ったよ、
という遊びのコーナーがあったり変な雑誌だ。
と言いつつ、保坂和志のコーナーも本当は
映画評みたいなエッセイでDavid Lynchのことを
前回まではまじめにつらつら考察していたところ、
今回突如それを中断しての鬼気迫った掲載なので、
それだって十分異例というか変なのではあった。


ここまではちょっと前に真夜中を立ち読みして、
大きさ的にも買う気にはなれない雑誌なので、
(写真を大きく載せたいからなのか無駄に大判)
その本屋にも群像がもうなくてがっかりしていた。
それで、図書館に読みに行こうと計画を立てて、
というのも、図書館にも依るのだろうけれど、
たいてい新着雑誌は最初の数週は貸出禁止で、
運悪く他の誰かが館内で読んでいなければ、
ちんまり書架に並んでいるはずであろう、
だから、貸し出しが解禁される前に赴かねば。


そうこうするうちに、いろいろやることがあって、
たとえば論文を探したり、いろいろ探していると
似たクエリーやら(被)引用関係から芋づる式に
山のように論文が見つかるけれど、どれもこれも
今の自分の目的意識にはそぐわないというような
要するに、微妙という感想になることが多くて、
結局、発表が近付くというタイムプレッシャー下で
その中で一番おもしろかったものを選ぶしかない。
そうすると大抵、当日の朝に見つけたものになる。
いつもそうやって準備不足になるのに学習しない。


そこで、ストラテジーを変えることにして、
新着雑誌の貸出解禁日とその時間を調べて、
予約して取り寄せて読む方が都合がよい。
そのためにではないけれど朝早く起きて、
なぜならそんなことはすっかり忘れてたので
予約のために起きたというわけはないのだが、
本人も忘れたプライミング効果かもしれない、
ともかく、図書館のページに行って検索して
予約を入れようと思ったら、1番目だった。


解禁から30分か40分くらい過ぎていたのに、
そんなに急いで予約する人は他にいない、
というのが意外で、ある雑誌のある号を
貸出できるようになった瞬間をねらって
ものすごい勢いで予約するような人は
たぶん偏執狂的なんだと反省した。


もしくは、雑誌でなく普通の書籍だと、
新着本でかつ著名な作家の本だったら
数百から数千の予約が入ることがあり、
順番が数年待ちということもあって、
実際ものの試しに今検索してみたら、
1Q84のbook 1は予約数2961件、
book 2は2074件も入っていた。


しかも、100冊以上蔵書があって驚くけれど、
貸出期間が最大2週間で遅滞する人もいる、
館間の移送時間など、短くても平均2週間、
単純計算でもbook 1の方は少なくとも15か月、
つまり1年3か月以上順番を待つわけだ。
実際はそんなにすんなりとはいかなくて、
1年半から2年待ち、というところか。
そうまでして読みたい本というのは、
待望の新作でありいくら飢餓感とは言え、
すぐに読めなくても飢えない人々とは。
あるいは、忘れた頃にでも読めればいい
という余裕だと好意的に解釈したとして、
手に入るうちなら読書は急がなくてよい。


でも、雑誌の予約は元々少ないもので、
新しく見つかったナボコフの短編など
ナボコフ特集の雑誌、それが保坂さんが
まさに連載を始めた雑誌なのだけれど、
ナボコフって『ロリータ』を書いた人
という印象しかなかったり、そう言えば、
ロリータの新訳を買って、読まなかった。


ともかく、雨の中を図書館に向かって、
カードを出して、予約受け取りのコーナーが
バイトで勤めていた頃と移動してしまって
貸出コーナーと隣り合わせになっていて、
それは館内の本を借りつつ予約も受け取りたい
というような利用者が思いのほかに多くて、
問題をさらに複雑にしている理由というのが
予約の本が届いて用意できているか否かは、
カードのバーコードをこすって読み取って
状況がパソコン画面に表示されて音がする
かどうかを確かめるまでは本人も司書も
本が準備できているかどうか分からない。
もし予約本が届いていれば、それを取りに
利用者の五十音順に並んだ予約棚まで探しに
行って取りに行かなければならないので、
貸出係の人がしばらく行方不明になる
という自体が頻出していて問題だった。


それまで、貸出を受け付ける場所と
予約受け取りの場所が離れていて
区別されていたけれど、どちらにいても
行う業務はまず受け取ったカードを読み取り
予約の有無を確認し、あれば取りに行き、
そして、貸出の本があればそれと一緒に
貸し出し操作を済ませる、ということ。
実質的にやっていることが同じなので、
同じ場所で臨機応変に対応しながら、
ということに変更になったに違いない。


予約本受け取りの場所変更については、
二週間前に別の本を受け取りに行ったときに
顔見知りで最初に指導をしてもらった司書の
Nさんがたまたまカウンター業務をしていて
すこし立ち話をしていて教えてもらった。
そのとき、来年から図書館業務が全部
民間委託されるので職員が全員いなくなる
ということを聞かされてびっくりした。


堀江敏幸などの純文学が好みらしいNさんや、
毎度おやじギャグ連発のTAさん(ただし女性)、
ときどきお菓子を作ってくる背の高いTOさん、
リチャード・ギアをもうちょっと細めにして
生真面目な感じにした風な、きびきび働く、
新しく移って来たので最後の方に少ししか
一緒に働かなかったので名前を覚える時間も
なかったおじさんも、みんな異動するのか。
大勢いたバイトの人たちもみんな辞めるのか、
それとも続けて働かせてもらえるだろうか。
館がなくなるわけではないけれど、それでも、
人が入れ替わる前に、あと何度訪ねられる、
と思うと、急にまた頻繁に通いたくなった。


今回は予約の受け取り場所を間違わず、
予約しておいたのが届いていることも
あらかじめネットで確認しておいたので
自信を持ってカードをNさんに手渡して、
届いていたその11月号を恭しく受け取り、
その瞬間は館内のだれも読んでおらず
雑誌コーナーの書架に表紙を見せていた
まだ借りられない12月号を手に持って、
ソファに座って11月号の方から読んだ。


久しぶりに保坂さんの文章を読んでいて、何度も
柴崎友香を読んでいるような錯覚に陥った。
本当は、柴崎さんの文体が保坂さんに似ている
とデビューの時代順から言うとそうなるけれど、
もしかしたら保坂和志柴崎友香を絶賛するうちに
知らずに影響を受けていないとも限らないわけで、
しかし、似ているところが多いと感じつつも、
風俗の描き方が全然違うと所々で気付かされる。
保坂さんの小説に出てくる女性がレスポートサック
のバッグを持っているなんてことはあり得ないし、
柴崎さんの小説に登場する男性がバーでホステスに
ふざけて爪でひっかかれることも、絶対にない。
目から見たまま、聞こえたまま、感じるままに、
考えていることもそのままの時間の縮尺で流れる、
たわいない自然な会話、事件性のない平凡な日常、
二人に共通しているそういう感じがとても好きで、
その上で、違った見方、捉え方の部分が面白い。
同じ主題で書いたらどれくらい重なるんだろう。


『未明の闘争』はまだ2回分しか読んでないけれど、
いままでよりもちょっと乱暴で、混乱もしていて、
言動や性格など普通ではなくても本人は普通だと
信じているような素朴さや整合性のとれた展開をやめ、
矛盾してたり、いきなり壊したり、欠陥があって
より本物の人間らしさが出てきたような気がした。
作品の外の著者の願望をもうすこしむき出しにして、
現実に向き合う方法を模索している現れなのかな。
結果的に、異質な感じを最小限にとどめたところの
やわらかい非日常性という新しい試みが楽しみ。
来月号が待ち遠しい雑誌なんて、初めてくらい。


図書館の帰りに昔お弁当を買っていたスーパーで、
リンゴを5つ、ジョナゴールド、ふじ、王林
北斗、5つ目を紅玉にしようと一瞬ためらって、
紅玉はパイとかに使う種類だから生食用じゃない
と後で言われ、そのときは、ひとまわり小さくて、
全部同じ値段なのに大きい方がうれしいと思って
紅玉はやめて、5つ目はもう一度ふじにした。
どれも青森のリンゴで、はるばる青森から来た。
このスーパーはお弁当を買うと味噌汁をサービスで
付けてくれて、自分で深い大鍋から大きなお玉で
注ぐのだが、底の方からかき混ぜて残り少ない
ワカメやら豆腐やらその日の具をかき集めて
具だくさんの味噌汁にすると気分がよかった。
お弁当は買わなかったけれど、電車に座って
ふとした瞬間にビニール袋が持ち上がって、
隙間からふわっとリンゴのいい匂いがしたので、
駅に着くまでときどき袋をそっと持ち上げた。