飾らずにいつもの言葉で話せたら

年の暮れが近づいて、10年以上音信不通だった
神戸の頃の友達から手紙が来て心の底から驚いた。


2、3年したら戻るつもりで関東に引っ越して、
でも大震災があったり(僕の住んでたマンションの
別の棟は傾いて、前にあった古い木造住宅は全壊、
すぐ近くでは43号線の上の阪神高速道路が倒れた)、
こっちで中高一貫の学校に入ってしまったり、
そうこうするうちに帰れなくなっていた。
関西に帰ると約束したのに守れなかった。


小学生のとき、引っ越しをすると聞いて、
聞き間違えたわけでもないのに、なぜか旭川
行くんだと思っていた。一文字しか合ってない。
北海道の自然の多いところならいいのになと
勝手に夢想したとかそんな感じかもしれない。


住んでいた家は川のすぐ近くで、北に溯れば
すぐに六甲山脈、南に行けばすぐに海が拡がり、
どちらも歩いて行ける距離に山と海があって、
飼っていたメダカの水槽の水を交換するときに
水を汲みにすぐ行ける距離にきれいな川があった。
川底にいる逃げ足の速いゴリをどうやったら
捕まえられるか考えるだけで心が躍った。


魚を追うのもいいけれど、気になったのは
水生昆虫で、水面をミズスマシがくるくる
回っているとそれはとてもいい兆候だった。
一番好きだったのは、タガメほどは厳つくも
ごつくなくて、と言っても図鑑の中か公民館の
昆虫展でしかタガメの実物を見たことはない、
かと言ってミズカマキリほどは華奢でもない、
タイコウチに憧れていていつも探していた。
川でなくても、水たまりがあれば必ず覗く。
その頃の習い性はいまだにぬけない。


現実的には、自然がもっと豊かな場所に
引っ越す淡い希望はもろくもくずれさった。
(と今、勝手に解釈してみただけで、別段、
実際にはあれっ、旭川じゃなかったんだ、
まあそれならそれでいいかという感じ。)
その代わり、ずいぶん都会に来てしまった。
その前の年に横浜から越してきた転入生は
服装もおしゃれで大人びた感じの女の子で、
雰囲気からしてぜんぜん違うと思っていた。
富士山が見える、というだけでも大違い。


いつしか、関西弁がしゃべれなくなった。
でも方言で苦労した記憶が全くないので、
周りも子どもだから気にされなかっただけか、
最初から標準語もちゃんとしゃべれたのか、
口数が少ないのでイントネーションの差異
うんぬんなどはそもそも問題でなかったか、
どれかだろう。むしろ、神戸にいたときに
自分がどんな言葉をしゃべっていたか
思い出せなくなったことの方がかなしい。
小さい頃は本当におしゃべりで家に帰ると、
ずっとしゃべっていたらしいと聞かされても
自分でも覚えていないし、信じられない。


高校のときに大阪出身の友達がいたので
大阪弁の感じが懐かしかったのだけれど、
細かいことを言えば、大阪弁神戸弁
それに京都弁はどれも微妙に違うという
理論は頭では知っていて、たとえば、
「来ない」と言うときの変化の仕方が
きやへん(けえへん)、こおへん、きいひん
のそれぞれに活用するのだと言う。
そう言われてみれば、大阪の友達は
来えへんと言ってたような気がするし、
自分は昔は来おへん派だったかも。
だけど、こういうのは頭で考えて出てくる
ものではなくて、口をついて出るべきもので、
どれだったかと考えてしまった時点で違う。


神戸に帰れなかった苦しさややましさが
あるのかどうかは自分でもよく分からない。
ただ、神戸ですごく仲の良い友達だったのに
どうやって接すればいいか分からなかった。
向こうも同じくらい分からなかったかも知れず、
それでかあるときから連絡が取れなくなった。
ショックだけれどどうすることもできなかった。


久しぶりに会って飲もうと言われて嬉しかった。
たぶんうまく関西弁はしゃべれないけれど、
無理に真似するよりは自然にいつもの言葉で。
知らずに自分にかけた封印を解けたらいいな。
ついでに、いたずら好きな人間に戻りたい。