訪れたことのある場所の並木道が呼び覚ます

駅前から横断歩道を渡っていきなり並木が始まるのを見て、
来たことがある、と懐かしくなりそのときの情景が蘇った。


最初は高校生のとき、オープンキャンパスの研究室紹介で
他の人は入れ替わり立ち替わりどんどん移動しているのに、
自分だけ、目当ての宇宙論の先生の部屋にずっと居座って、
話があんまりおもしろいので、そこから動けなくなった。


次は受験、どの科目もことごとくうまく行かなかった。
数学の証明問題で解答欄が狭すぎるのが気になったり、
休み時間に外に出たら中庭に煙がもくもく立ちこめ、
煙草を喫んでいる殺気だった集団がいて怖かったり。
たぶん、この大学はすごいけど、自分には向かない。


いろいろ負け惜しみや言い訳を考えながらも、その日は
あまりの出来なさ加減に激しく落ち込んで滅入ったので、
家に帰ったらすぐ宮崎駿ナウシカを全巻一気に読んだ。
好きなものを一心不乱に読むというそんな単純な方法でも、
わりとあっさり失敗を忘れて、すっかり気が晴れた。


最後は卒論を書いているとき、どうしても読みたい
論文があって、このキャンパスの図書館には所蔵があり、
それを求めて、知人に借りたカードで入ろうとしたら、
磁気の読み取らせ方がまずかったのかうまく認識せず、
変な汗が出て来て、中に入るのは諦めてUターンした。


複雑な思い入れのある場所だけれど、意外とそんなに
嫌な感情も残っておらず、純粋に記憶がよみがえった。
受験に失敗していなかったら、人生違っただろうか。
テニスサークルにでも入ったり。いや想像できない。
今とは違う人間になっていたかもしれないし、案外
たいして変わり映えのないことになっていたのかも。


シンポジウムは予想以上に波乱があって楽しめた。
ワークショップのときの曲にビートルズがかかって、
what can I do?という歌詞が聞こえて、それが、
とまどってる参加者の心象みたいで絶妙だった。
それから、オノヨーコのGrapefruite juiceは、
すべて命令形で書かれていたのを思い出した。
命令、というのがどういう形の力なのか考えた。


帰りに並木のイチョウの枝が切り落とされて、
丸裸になっているということに気がついた。