存在の耐えられない軽さ

Unbearable

クンデラという作家は前々から気になっていた。
実際のところ、このタイトルに惹かれていた。
ずっと以前に一度図書館で借りたことがあったけど、
そのときは読まずにそっと返したような気がする。


ドンファンのトマーシュと妻のテレザ、愛人サビナ、
彼らを取り巻く人たちの愛憎劇が繰り広げられる。
こんなドロドロした話を読むこともなかなかできない
というくらい、激しい葛藤が渦巻きぶつかり続ける。


歴史には疎いので、時代背景を理解していない。
チェコという国の背負った歴史をよく知らない。
それはとてもマズイことなのだろうと思うけど、
遡って史実だけでなく、今現在の世界情勢への
関心がか細い自分の問題点であり欠点でもある。


ラカン派のジジェククンデラに対し、
知識人たちのそのシニカルな笑いのせいで
チェコの革命が遅れたと批判したらしい。
温度が足りなかったということなのだろう。
(この辺り、よく分らずに書いている。)


ギリシャの哲学者パルメニデスは問うた。
重さと軽さであれば、どちらが肯定的か?
重さが否定的で、軽さが肯定的であると。
逆説的な答えであるとは思わないか。
だからこそ、問い掛ける意味があるのだが。


ドイツの諺に、

Einmal ist keinmal(アインマル イスト カインマル)
一度は数のうちに入らない、

という言葉があるそうだ。
ドイツにそんな言い回しがあるということが
やけに意味深長であるわけだが、しかし。
トマーシュがつぶやくこの言葉には、
重さが足りなすぎやしないかと思う。


一回だけしか起こらなかったことを
見過ごすわけにはいかないからこそ、
注意深くもなれるし思慮深くいられる。
そして、その一回の重みに耐えるべきだ。
軽さが求められるのは別の場面だろう。