バラ色の怪物

Rose
笹生陽子笙野頼子をごっちゃにしていたことに
最近やっと気が付いた。


『ぼくは悪党になりたい』とか『楽園のつくりかた』や
タイトルの作品はすべて前者の作品だったのだけれど、
全部後者の作家の作品だと思い込んでいた。
笹が生まれると竹が生まれるは近いイメージだし、
よう子とより子は一字ちがいでよく似ている。
峰隆一郎隆慶一郎をよく間違うのと同じ類か。
しかも、ささおと読んでいた。さそうが正しかった。
重ねて誤認をば、ごめんなさい。


笹生陽子は児童文学系で笙野頼子民族学系。
後者は弁財天と習合して頭部に3つヘビを生やす、
というような作品を書いてぶっ飛んでいる。
だいにっほんシリーズをちら見して度肝を抜いた。
まだきちんと読んだことはないので、そのうち。


『バラ色の〜』は光クラブ事件(全然知らなかった)を
元にした作品だけれど、児童向けなので基本的に明るい。
笹生作品に共通するテーマとして、殻をぶち破るティー
というような構図が挙げられると思うわけだけれど、
大人が読んでも小気味よく感じられるのではないか。
もちろん、大人になりきれていないから面白いのかも。
(主人公がという意味ではなく、読む側の方が。)


子どもの側から見るのと大人側から見るのでは
捉え方も違うのだろうけれど、その違いではなく。
扱っている問題は児童に仮託されていても、
実は大人でも同じことが言えることばかり。
偏見の問題とか、画一化への反発とか。
中学生の主人公たちを子ども扱いしてしまう
自分のこの書き方すらも、よく考えたら、
なんなんだこの上から目線は。おかしい。


成長は子どもだけの特権ではないと思う。
何を突然言い出すか、という感じだけれど。
現状に甘んじて何も変えずに惰性でいるとか、
そんな状況すら自覚せず流されてる状態とか、
変化の兆しを作るきっかけが必要かもしれない。
壁を突き破る(乗り越えるでも迂回するでも
打開する方法は何でもいいけど)ためには
何をすべきか考えてみよう。まずは自分から。


青春ものとして懐かしむ読み方もできるけど、
今の自分と重ねると違う見方ができる気がする。
反抗期が遅すぎるのかもしれないけれど(笑)
何事にも遅きに失するということはないはず。