ブルバキと危険なカーブ

ブルバキとグロタンディーク」を読んだ。
いや、読んだというよりは、眺めた、に近い。
というか、途中から精読するのがつらくなった。
なぜなら、たぶん、いや、その話はやめよう。


歴史的な記述ばっかりで、
数学の話はいつ始まるの?
というツッコミは禁止だよね、きっと。
(ああ、書いちゃった。抑制するつもりだったのに。)


ところで、この本を手に取ろうとしていてかつ、
しかしブルバキの正体を知らない人っていると思う?
本屋でたまたま、思わずジャケ買いしちゃってとか、
ありえない話ではないけどさ。数学原論を読んだとか、
さすがに読むとまでは行かないまでも見たことあるとか、
まったく知らないわけではない人しか読まなくない?
というより、名前もまったく聞いたことがなかった人が
もし読んで、はたしておもしろいと思えるんだろうか。


なんでこんなに訝しがってるのかというと、
途中までやたら、ニコラ・ブルバキって誰だろう?
と謎かけをしたがるのね。なんというか、ねちねち。
突然話題を変えたりするし。時代や場所も飛ぶし。
どこまで引っ張るんだよ。しつこくない?
そうでもないか。盛り上げようとしてると言えば。
えっ、だれだれ?どんな人?と乗ってあげないといけないのかなあ。
読者もけっこう疲れるわ。


似た現象を探してみよう。意外とよくある
パターンなんじゃないか、と思えてきた。
話の持って行き方が、ではなく、ブルバキのこと。
ほら、有名なところではエラリー・クイーン
(実は読んだことないけど)とか、あとは、
ドゥルーズ=ガタリが一人だと思ってる人って
結構いるんじゃないかなあ…。いないって?


“=”でつないでるから一人じゃないっていう
論法は使えないんだよ。ややこしいけど、
だってたとえば、ゲル=マンは一人だし。
レヴィ・チビタなんて、やっぱり二人っぽい
雰囲気がぷんぷんしてるけど一人なんだよね。
そうそう、いつもランダウ=リフシッツと
セットで呼んでると、二人だってことを
いつの間にか忘れちゃう場合もよくあるし。


で、そうか。わかった。ニコラ・ブルバキ
という言い方をすると一人っぽくなるのか。
ブルバキっていう方しか知らなかったから、
グループ名だってすんなり信じてただけかな。


さっきの本(もう忘れかけてるけど、)は
邦題がmisleadingなんじゃないかっていう
懸念が濃厚で、原題だと

The Artist and the Mathematician: The Story of Nicolas Bourbaki, the Genius Mathematician Who Never Existed


こっちの方が内容にマッチしてるよねって。
全然関係ないけど、今アマゾン見たら、
原著は大幅値下げして$4.79になってる!
(日本からその値段じゃ買えないけど。)
安っ。というか、まあいいか。いやよくない。
さっきも、去年出たばかりのQFTの教科書が
45%オフになってたりして目を疑った。
日本版の価格に連動してないのがくやしい。


で、なんだっけ。あ、ブルバキね。(忘れんなよ!)
たしかに、参加してる具体的な数学者たちの
名前まではほとんど把握していなかった。
聞いたことあるような感じ、って、そりゃあ
もちろん、有名な数学者ばっかりなんだし。
でも確かに、ヴェイユって聞いたことあるなあ
と思うけど、でもそれはアンドレじゃなくて、
妹の哲学者シモーヌ・ヴェイユだったのかも。
(この辺り、多分に知ったかぶり入ってる。)


グロタンディークは、なんか気になる人だね。
ほとんど、とか見栄を張らずに、全然知らなかった
とちゃんと書くべきだけど、それにしても。
ヴェイユと生い立ちの違いが対比して強調されてて、
対照的(非対称的とか書くと分かりにくいか)で。
ブルバキ集合論を礎に置いてしまったがために
次第に身動きがとれなくなり硬直し始めていたのを
圏論を使って書き直そうとした、けど反対されたり
ヴェイユと対立したからブルバキを去って行った
というエピソードとか。孤独な感じとか。
圏論というところにムダに反応してしまう自分。


時代が飛ぶけど、学部生のときにたぶん図書館で
ブルバキ数学原論をぱらぱら見たことがあった。
やけに抽象的すぎて難しく見えたけど、もちろん
そう見えただけじゃなくて難しいんだと思う。
内容が分からないくせに、古臭く見えもした。
本自体がかび臭かったせいだ、という説もある。
たぶん、誰かにブルバキっていう数学者集団が
すごい試みをやろうとした、という話をこれも
どこか憶えてないけどだれかに聞いたりして
手に取ってみたけど読める気がしなかった。


くらいの接点しかなかったので、正確には
ほぼ全然知らないけど、件の本を読んでみた
無謀な読者の一人に数えられてしまうのかな。
たまたまブルバキがチーム名だって知ってた。


あくまで抽象性を志向して、具象を排した
ブルバキの本の中で、一種類だけ図があるらしい。
細心の注意を要する部分に、「危険なカーブ」
という乙とも言えない、Sの鏡像みたいな
えも言われぬ曲率のカーブの記号で促した。
粋がらないでもっと説明してよ、と思うけど、
要注意マークを付けてくれただけでも親切か。


それに比べればだいぶゆるいんだろうけれど、
近いものとしては、ランダウ=リフシッツの
「力学」(と銘打ちつつ、内容は解析力学)を
初めて読んだときの感覚が似てるんじゃないか。
ムダをそぎ落として、必要最小限の言葉だけを
簡潔に記述する。読み取る方はそりゃあ大変で
行間を読むのに苦労するけど、でもたしかに
すっきりしてて(すっきりしすぎてて)カッコイイ。
ファインマンとかは対極的な教科書だと思う。
徹頭徹尾、具体例で、ほら、どうよ、っていう。


具体的に理解したいけど、形式的な美にも憧れる
っていうアンビバレントな状態の重ね合わせ
観測した瞬間に収束させてしまうなんて勿体ない。


グロタンディークはピレネー山脈に隠遁した。
イメージ先行で恐縮ながら、ここのところで
ポアンカレ予想を証明したペレルマンの雲隠れと
重なるものを想起してしまうのは自然な流れ?
どちらの場合でも思うのは、世間から距離を
取りたがってるのなら、ムリに探し出そうとか
憶測でいろいろ騒ぎ立てるのは余計なお世話。
本人たちにとって単なるはた迷惑でしかない。


だから、そっとして放っておいてあげれば
きっとしあわせなのに、そうは行かなくって、
功なり名を遂げた人を不要に忙殺させたり、
ときに責め立てる風潮は実にけしからんね。
邪魔をしないのが一番の福音かもしれない、
と心掛けて、胸に手を当てて考えてみる。


それでも自分はポアンカレ予想の特集番組を見たり、
グロタンディークのその後が気になるだろうか?
それでも、気になる。でも、邪魔もしたくない。


とかく、観測問題はムズカシイ。(オチはそこかよ。)


追補:
スミレの花の話で紹介した岡潔ブルバキ
まつわるおもしろい話が書かれたページを見つけた。

http://staff.aist.go.jp/t-yanagisawa/oka.html

数学者のジーゲル[2] が,『オカとはブルバキのように数学者の団体の名前だと思っていた』,と言ったという

これ、すごい褒め言葉だよね。